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2003年2月17日 (月)

日本人・アジア人・地球人 厳寒の米国出張を終えて

久しぶりにコラムを飛行機の中で書いている。

機中で、今回の米国出張を振り返っているうちにコラムとして書きたいと思い始め、パソコンを開いた。

今回の出張は、現在グロービスを休職してハーバードビジネススクール(HBS)に留学中の山中氏より、HBSのアジア・ビジネス・コンファレンス(ABC)でのスピーチを頼まれたのをきっかけに米国にいくことを決めた(このABCには2年前にも参加して、このコラムの『マイケルポーターとのディベート』でその内容を書いたとおりである)。
どうせ行くならばということで、いつものとおり色々とスケジュールを入れての出張である(入れすぎかな?)。

・ 既存投資家向けプレゼン&投資家予候補とのミーティング
・ 次のファンドのフォーメーションの検討(弁護士・会計士など)
・ 我々のパートナー、アランパトリコフ氏とのディナー
・ ワシントン・ウィルソン・センターでのスピーチ
※コラム:ワシントンでのスピーチ参照
・ MITでのスピーチ(一時間のセッション)
・ HBSアジアビジネスコンファレンスでのスピーチ(2日間のイベント。グロービスもスポンサーしています)
・ ボストン修士会(JAGRASS)の会合参加
・ HBS日本人の学生との夕食会
・ HBS教授やHBS出版とのミーティング
・ グロービス採用候補者との面談など

を、NY(3泊)、コネチカット(日帰り)、ミシガン(日帰り)、ワシントンDC(一泊)、ボストン(3泊)と転々とした。

今回の出張は、イラク戦争に向けて国連で安全保障理事会が開始されており米英対仏独露の対立が起きている最中、テロ警戒レベルがHighになっている厳重な警戒の中で強行された。しかも、米国東海岸は例年にも増して寒かった。重要な投資家とのミーティング、DCやMIT・HBSでのスピーチなどをかなりの強行なスケジュールを厳寒の東海岸でこなすので、ただひたすら体調の管理・維持に努めたいと思っていた。

従い、今回のテーマは「健康と安全」である。出張前に風邪を引いて体調を崩したこともあって、なるべく無理をせずに、エネルギーを温存しながらも、毎日泳いだり軽い運動をして体調を整えて、お酒も飲まないようにしてきた。寒さに負けないようにひたすら暖かい格好をして、外出もなるべく控え、安全面にも配慮してきた。

今回は、本当に寒かった。ボストンは、氷点下20度である。ボストン空港でチェックインする長い列にいたアルゼンチン人の会計士が、「ボストンはまるでアラスカみたいだ。早く抜け出して暖かい南米に帰りたい」と言っていたのが印象的だった。

寒さ、イラク戦争、米国経済、アメリカ人の雰囲気、投資家とのミーティング、ワシントンでのスピーチ、語りたいことがいっぱいある。その中で一番印象に残ったのが、ビジネススクールにおける中国のプレゼンスの異常な高さである。

僕が留学した12年前には、日本人学生は19名、中国人本土の学生は、たったの1名であった。今や完全に逆転して、日本人学生が12名(これも日本人卒業生が強行にクレームして4名から12名まで増えたのだが)に対して、中国人学生が40名もいた。この中国人学生に、米国在の中国系アメリカ人やアジアにいる架橋を含めると、おそらく80-100名近くになると思う。HBSの学生が800名なので、1割以上が中国系学生だ。

先のコラム「米国ビジネススクール歴訪ツアー」にも書いたが、僕らがいたころのアジアン・ビジネス・クラブは、ジャパンクラブの代名詞であった。それが、今やチャイニーズ・ビジネス・クラブの代名詞とでもいってもよいぐらい、執行部は皆中国人だ。その日本人劣勢の環境の中で、今回のアジアン・ビジネス・コンファレンスに日本人学生から、どうしても出て欲しいとメールが来た。その心意気に共鳴して、僕らはパネルに参加するとともに、スポンサーをする事とした。

行って見て先ずビックリしたのが、キーノートスピーカーなど最も重要な部分は、中国系(と一部韓国系)に占められていたことである。日本からは、僕以外に楽天の三木谷氏が来ていたが、二人共さほど重要でないパネルディスカッションの枠のみを与えられていて、キーノートスピーカーではなかった。僕はいいとしても、三木谷氏はHBSの卒業生で、ビリオンダラーカンパニー(時価総額1000億円を超える会社)をつくった起業家である。しかもビジネスウィーク誌やレッドヘリング誌では、ベストアントレプレナー(起業家)の一人としても名が上がった人物である。キーノートを務めた他の政府の要人や外資系企業の中国法人のCFOよりもよっぽど価値があると思われるが、HBSの日本人学生に言わせると、これも多勢に無勢で仕方が無かったらしい。なお、全部のパネラー・スピーカーの参加者は、ざっと40名程度。モデレーターやゲストスピーカーを加えると80名を超える人数だ。
そうちのうちたった2名が日本からの参加だ。日本の企業にもかなり声をかけたが、皆断られてしまったらしい。

僕は以下3つのパネルディスカッションに参加した。

Panel 1: Late-stage Investment in Asia
Panel 2: Negotiating Joint Venture in Asia
Panel 3: Early-stage Investment in Asia

1と3は、僕の得意な分野である。しかも世界でも最もパフォーマンスが良いファンドを運営している。パネル2に関しては、Apaxとのジョイントベンチャーの事例をパワーポイントにまとめてプレゼンした。

全てのパネルにおけるディスカッションやプレゼンは順調に進むのだが、質疑応答に入ると、質問は全て中国のことに集中した。しかも中国系学生からである。「中国でJ/Vをするには、何が必要か?」、「中国の投資環境に関してどう思うか?」、「中国でのIPOはどの市場を狙うべきか?」、「中国でのVCを組成する場合の問題点は何か?」

他の「日本と韓国の経済に学ぶ」というパネルでも、中国の質問ばかりであったらしい。「中国はキャッチアップできるか?」「中国についてどう思うか?」。日本と韓国のテーマになぜ中国が?というのが参加者皆の意見であった。

三木谷さんが出たパネルでも中国ばかりに質問が集中したらしい。
全て、中国が中心である。確かに参加していた学生の多くは、中国系である。それでも、仮にもアジアン・ビジネス・コンファレンスである、日本、東南アジア、韓国、インドなど幅広い意見があっても良いが、結果的には全て中国である。なぜならば、参加してきた多くの中国系学生には、中国以外は全く興味が無い、という感じであったからだ。

HBSの学生に聞くと、こういうことがあったらしい。
ある日、台湾の国旗が教室にかかっているのを中国人学生が見て、これは国旗でないからと言って取り外してしまったらしい。仮にもビジネススクールだ。なぜそのような政治を持ち込む必要性があるのか、首をかしげてしまう。日本人学生に聞くと、ビジネススクールでのクラスの雰囲気は、今や全て中国で、日本からはもう学ぶものが無いというスタンスらしい。中国人学生は、中国以外には興味が無いようで、常に中国の良さをアピールしつづけている。クラスでも日本人学生は、孤軍奮闘しているらしい。先のコラム「米国ビジネススクール歴訪ツアー」の状況よりも更に悪化しているような感じがする。

この状況を見ていると、近い将来、No,1指向の米国と中華思想(中国No1.の考え方)とのぶつかり合いが、政治・経済で起こるような気がする。その状況の中で日本はどのようになっていくのだろうか。何とかして、我々の力で日本を発展させなければならない。

良い人材を育成して、良い会社をつくり、企業を変革させて、良いチエを発信し、人的資源の最適配分を進めることをスピードアップさせなければならない、と強く認識した。我々の力で何とか日本経済を再生させなければならない。
さもないと、日本は世界から軽視されたまま中国中心のアジア、米国、欧州という枠組みで世界がおさまってしまう。

我々が立ち上がり、最大限の努力をしなければならない。日本のために何とか頑張ろう。思わず熱くなり、パソコンを叩く指に力が入っているのを感じとりながら、成田に向かう飛行機の中で、僕はそう強く心に誓った。

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