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2005年6月 9日 (木)

個人 信長と囲碁〜なぜ織田信長は囲碁を打っていたのか?

「なぜ織田信長は囲碁を打っていたのであろうか?」と、囲碁を始めるに当たって、僕はずっと考えていたのである。

僕は、「なぜ信長は茶道をやっていたのか?」という疑問を持ち、茶道に触れてみた。こちらに関しては、ある程度納得ができる結論を導きだせていた。その仮説に関しては、今週末に裏千家の千宗室家元とお会いする機会があるので、聞いてみようと思っている。

さて、「なぜ信長が囲碁を打ったのか?」である。織田信長ほど、合目的的 に 生きた人間はいないと思っている。信長は、「天下布武」という掛け声のもと、日本を統一するため常識を疑い、合理的に物事を考えて実行した。また、「人生50年」と認識していたので、一刻の時間も無駄にはしなかった。その信長が、趣味で囲碁を打つなどとは考えにくい。

では、「なぜ囲碁を打っていたのか?」僕は、それをどうしても理解したかった。僕は、囲碁を始めて、既に3年以上たっている。その疑問に対して、やっとのことで、僕なりの結論を導き出すことができたのである。その結論とは、以下3点である。

1)囲碁で負けることにより、戦いの厳しさを学び、精神力を鍛錬していた。
囲碁を打っていると、負けていくことの惨めさや悲哀を感じさせられる。一手の失着で、自らの石(兵隊)が死んでいくのを目の当たりにする。その都度、自らのリーダーとしての浅はかさ、能力の低さを嘆かざるを得ない。そして、「負ける戦いはすべきではない」と痛感し、「間違っても経営の現場では失敗したくない。日々研鑚に務めるべきだ」、と強く心に誓うのである。

信長にとっても同様だったのではないかと思う。戦場では一手の失着で全てを失う。戦(いくさ)に負けると一家郎党もろともに打ち首である。だからこそ、慎重に情報を集めて、戦況を確認して、一手一手重要な手を打っていくのである。

大河ドラマなどで、戦場での戦国武将の様子が出てくる。武士がひざまづき、「報告します」と前置きをして、戦況を報告する。各方面からの情報を集める間、武将は黙って聞いている。この間、頭の中に戦況をインプットしているのだと思う。そして、じっと黙ってチャンスを待つ。資源が限られているので、打てる手にも限界がある。多くの指示を出しても、戦場は混乱するばかりなので黙ってチャンスを待つ。そして、機会が来たかと思うと、おもむろに立ち上がり、「突撃」と指示を出す。その戦で勝てれば、領土を拡大し、戦略的に優位なポジションにつける。もしも負ければ、最悪の場合には、打ち首となる。

一つ一つの指示(手)が、死活問題となるのである。

戦(いくさ)をやっている人間にとって、囲碁は疑似体験の場であって、戦いの場ではない。従い、囲碁では負けてもいいけど、戦では決して負けられないのである(プロ棋士の場合は別だが、戦国武将にとっては戦にさえ負けなければいいのである)。囲碁は、頭脳の戦いでありながらも、精神の戦いでもある。心を平静に保ち、気合が重要となる。決して勝てると思って興奮したり、負けそうだと思って苛立ったりしてはいけないのである。興奮したり、苛立ったりすると必ず負けるものなのである。また、気合が無いと、気合負けするものである。

戦も同様のことではないかと思う。気持ちが重要である。決して奢らず、平常心で、冷静に判断することが要求される。 そして、勝っても奢らずに反省することが重要になるのである。

信長などの戦国武将は、囲碁を打ち、負けることによって自分の足りなさを痛感でき、自らの頭脳と精神力の鍛錬できるのである。また、囲碁を打つと、トップの判断の重要さを理解できるし、勝つ方法論もわからずに戦うことの無謀さも痛感する。

つまり、囲碁という戦場の疑似体験をすることにより、戦いの厳しさを認識し、自らの頭脳と精神力を鍛錬するために、信長は囲碁を打っていたのではないかと思えてくる。


2)囲碁を通して大局観・判断力を養っている。

囲碁と経営は、限りなく近いと思う。その二者の関係は、簡単に言ってしまえば、僕の持論だが、以下で言い表されると思う。
「複雑性が高い経営の世界から、無駄なものを省いて単純化したあとには、囲碁盤の黒石と白石の世界が残った」。

つまり、複雑なものを複雑なまま捉えても、何ら意思決定できない。複雑なものをある程度構造化して、単純化しないと意思決定はできないのである。「無駄なことを省いて単純化」する。つまり、実際の経営から、以下3つの要素を除外すると経営は囲碁とほぼ同じになるという事だ。

・経営の世界では、経済、金融などの外部環境が移り変わる
  (囲碁では、対局者の打ち手によって生まれること以外の環境変化は無い)
・経営の世界では、必ずしも競合他社は、1社じゃないし、同じ資源を持ってはいない
  (囲碁はあくまでも、相手は一人である)
・経営では組織・人の要素がある
  (囲碁の場合には、全ての石は同じ能力を持っていて、必ず棋士の言う通りに動いてくれる。でも現実の経営では、そうはいかない)。

上記要素に加えて、会社の現況を分析するには、多面的に統合して考えることが要求される。例えば、市場から見るマーケティング的な視点であったり、財務から見るファイナンスの視点であったり、人という側面から見る人的資源管理であったり、更に、競合他社という側面で見る経営戦略的視点であったり、である。そのように多面的に見たものを、様々な因子の相関関係を理解したうえで、重要性・緊急性を理解して、優先順位付けすることによって、始めて経営の意思決定ができるのである。

複雑なままでは判断ができないが、ある程度単純化して、先に述べたとおり、相関関係を持たせて、優先順位をつけることによって始めて意思決定ができるようになるのである。良い経営者は、その大局観やセンスを持ちながら、様々な状況の変化に応じて適切な指示を出していくのである。

その相関関係をもった最も高度なゲームである経営は(僕は経営をゲームと言い切っているが)、囲碁と限りなく似ているのである。戦も同じものではないかと仮説を立てられる。陣地を取るための戦いをして、局所で様々な戦いがある。その中で、捨石を使ったり、負けそうな場合にはサバいたりする。そして、重要な要所に兵隊を集中させて、一気呵成に攻め込むのである。その際には、対局的に見る力と、複雑なものを構造化・単純化してみる力とが必要なのではないかと思う。

信長は、囲碁を打ちながら、大局観を磨き、複雑な戦況においての判断能力を養っていたのではないかと思われる。


3)負けることによって、戦略の重要性を学ぶ。
「負けることによって初めて、戦略の重要性を痛感する。負けない限りは、戦略の意味を理解できない」、と僕は、囲碁を通して、考え始めている。

僕は、米国ハーバード経営大学院で、マイケル・ポーター式の戦略論も学んだ。ところが囲碁を打ってみて、初めて戦略の本質が理解できるようになったと思っている。僕は、ある程度経営戦略を理解していたと思っていたが、それは勘違いで、実は全く理解していないことを痛感した。なぜならば、人間負けなければ、戦略の本当の重要性を認識しないからである。それまでは、しょせんは戦略ごっこみたいに、頭の中で構想を練っていた程度である。

囲碁を通して学ぶことの一つが、「捨てることや選ぶこと」の重要性である。

経営でもMBA的な定石があるように(マーケティング、ファインナンスetc)、囲碁の世界にも、手筋、寄せ(ヨセ)、詰碁などのパターン化された定石がある。経営でMBA的な知識を知っていて当たり前のように、囲碁でも定石を知っていてあたりまえである。知識や定石では勝てないのである。重要なのはいかに戦略をたてて、構想を練って、一つ一つの打ち手を出すがである。つまり、知識・定石を使って考える力が重要なのだ。

僕は、現在囲碁を打っている感覚で、経営をしている。先ず、戦況判断をして、彼我の能力・ポジショングの差を認識する。相手の弱点を考える。絶好点を見極めて、戦略的に優位なポジションを確立すべく努力をする。

戦も同じではないかと思えている。戦略の重要性は負けなければ、認識しない。でも、戦では、負けたら終わりなのである。徳川家康は、三方ヶ原で武田信玄に敗北したあと、その時の自画像をずっとかけ続けていたという。そして、常に負けることの辛さを、自らに思い起こさせ、戒めていたという。家康は、幸いにも負けても生き残れたから良かった。通常、戦では、負けることは、死を意味する。一方、囲碁では負けてもいいのである。そして、負けることにより、勝つための願望が生まれてきて、負けないため、つまり勝つための戦略を真剣に学ぶのである。

信長は、囲碁で負けることを通して、戦略の重要性を認識していたのではないかと思えている。

僕は、グロービスを立ち上げて、ベンチャー経営者の立場でありながらも、今ベンチャーキャピタルもやっている。経営書を読み、経営を実践し、投資も行いながらも経営に関する研究もしてきた。ただ、経営面に関して、経営そのものから学べることには、自ずと限度があるのではないかと認識し始めている。音楽、芸術、スポーツ、遊びなどを通して、人間の幅を広げていく努力をする。そして、歴史、心理学、進化論、哲学などさまざまな分野の読書をする。

そして、その中でも囲碁は、経営から学べない新たな世界を広げてくれたのである。信長が囲碁を打ってた理由は、結局のところ良くわからないのである。本当は、趣味でやっていたのかもしれない。ただ、僕は、あの忙しいはずの信長が囲碁を打っていたということで、囲碁を打つことの安心感を覚えるのである。

と、偉そうなことを書いてきたが、碁盤の前で勝負をするといつもボロボロになって負かされていくのである。そのたびに泣きたくなるほど情けない気持ちになる。でも、それでも、打ち続けているのである。囲碁には、そのような魅力があるのである。

そして、明日の夜もまた囲碁を打ちに、ダイヤモンド囲碁サロン(DIS)に向かうこととなる。


2005年6月8日
自宅にて
堀義人

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コメント(6)

  • トレーダーである私にとって、囲碁や将棋、チェスなどと相場の日々(時々刻々)の値動きを読んでいくことが似ていることを、以前から感じていて、私の講座でもどのように似ているかを私なりに分析してみたりしています。

    特に、長期投資にはない、囲碁等に似た側面が、デイトレード(私自身は過去に数年ほどDTばかりしていた日々がありましたが、今現在はバリュー投資がほとんどで、現時点ではデイトレーダーではない、という点はお知りおき下さい)にはあります。
    どういう点かといいますと、堀さんが挙げた3点もそうなのですが、そこにはない点が1点、それは、「直感」を鍛えるのにベストな場である、ということです。

    私は囲碁はやらないのですが、小さい頃父と将棋をよくしていて、同様に感じたのをよく覚えています。
    あまりに可能性のたくさんある戦略を論理的思考で何手先まで読むのには限界がありますが、直感力はそれをワープして答えを与えてくれます。直感力がどういうときに最も働くかと言うと、「時間的に追い詰められていて思考の働く余地がないようなとき」です。

    そういう意味で、分刻み、場合によっては秒刻みが勝負のDTは、ある種直感力が最大限発揮できる場です。
    (決して論理的思考や分析力を否定しているわけではありません。それらは、決断する以前の場では十分意味があると思います。ただし、いざその瞬間となったときには、それらは役に立ちません。

    なぜなら、分析はあくまでも過去のものだからです。でも、「今」というこの瞬間に答えに直結する情報の全てが自分の目の前に繰り広げられています。過去の分析をそこに持ち出しだすと、今を見る目に先入観によるバイアスがかかり、真実を見る目を曇らせます。直感を瞬時に得るのが、ベストな回答を得る最大の手段だと思っています。いわゆる、「火事場のくそ力」です。考えている悠長な時間がないから、信じられない力が発揮されるのです。囲碁やチェスで、すぽぽんぽん〜と、スピード感のある手の打ち方ほどいい、というわけでは決してありませんが、ポイントは、「いかに今に集中したか」だと思います。(時間が短い方がそれが楽にできるものですが、時間があってもできないことではないので。)

    信長が囲碁をやったのも、戦のような場での決断が、いざというときにはかなり直感に頼っていた部分があるのでは?囲碁でそういう部分に何かしら共通部分を見出して面白かったのでは?とか、戦略を練るというのとはまた別の観点で思ってみたりしました。(歴史の詳細や彼について深く知っているわけではないので、まったく的外れなことを言っているかもしれませんが・・・;だとしたら失礼。。。)

    そんな折、たまたま、Harvard Business Reviewの最新号(7月号)が手元にあってぱらぱらめくっていると、なんとも偶然か必然か、「勝負師の戦略思考」と題して、22歳という史上最年少でチェスの世界チャンピオンになったガルリ・カスパロフ氏のインタビュー記事が出ていました。・・・同じようなことを言っていました。

    彼は、「いくら論理的思考や知的能力を使うといっても、最終的に指し手を決めるのは創造力や感覚であり、我々は直感で指しているのです。頭で考えるよりも直感に従った方が正しかったという経験がよくあります。」と語っています。
    そして、彼が現在執筆中の本の中で、彼は過去200年間の偉大なチェス・プレーヤーの対局をたどり、詳しく分析を試みているようなのですが、その過程で彼らの対局内容をコンピュータで分析した結果、面白い結果を見出したそうです。
    それは、「彼らの独創的な妙手の多くは、追い詰められて直感を頼りに指したものだった」ということです。
    さらに、「対局後に展開を分析・解説するための感想戦では、対局者たちは、ゆっくり落ち着いて指せるにもかかわらず、対局中よりもはるかに多くのミスを犯していました」とのことです。以上のことから、「名人を名人たらしめるのは、分析力ではなく、追いつめられた時の直感なのです」と。

    つまり、時間に余裕がある(と思う)と、集中力がダウンし、思考に頼り始めるため、結果的に直感力が冴えなくなるのだと、私は感じました。コンピュータの処理速度の速さに人間の論理的思考力はかないませんが、人間の持っている直感力はコンピュータよりも速く、唯一人間が持っていてまだまだ有効活用されていない部分のように感じます。トレードでも、まったく同じ感想を得ます。

    戦場でも、追いつめられた時の決断が運命を分けたのでしょう。
    ちなみに、この記事の中で、彼は「チャンピオンのジレンマ」として、成功者の最大の課題は、例外なく己の成功を乗り越えることであり、それまで追い求めてきた夢をすべてかなえ、その上夢にも思わなかったことまでも成し遂げた場合、人はどこに向かっていけばいいのでしょうか?ということで、この問題の唯一の解決方法は、「ライバルに恵まれること」と語っています。

    でも!私は、確かに切磋琢磨できるライバルは大切だし、必要かもしれないけれども、もっと広い広大な宇宙を考える時、豊かな創造力が、今の自分には手も届かないほどに成長した自分像というのを描かせてくれ、それをイメージさえできれば、第三者としてのライバルは決して必要なものではなく、結局は己がライバル、ということになるのではないかな〜と思ったりしました(いつも自分との闘いである人生ばかりゆえの私ならではの蛇足です)。

    他にも示唆に富む発言が随所にあり、ぜひ皆さんに一読をお奨めします。

    投稿者: shiba

  • 特に2)については、全面的に同感です。
    局地戦の基本は、面(空中戦の発達した現代は空間)と時間軸で状況を把握すること にあると言われます。信長は「うつけ」と言われていた青年時代に馬で領地を走り回っていたそうですが、地勢を熟知することで、この「面」での戦術を考えていたと思われます。囲碁は正に、このような大局観を養うのに最適なシュミレーションだったのでしょう。

    茶道を利用して情報戦を勝ち抜き、囲碁で局地戦の勘を磨いた信長の慧眼は尊敬に値すると思います。

    私も囲碁をやってみたくなりました。

    投稿者: SK

  • 堀様

    今回のコラム興味深く読ませていただきました。
    私の父も囲碁打ちで、大学時代からかれこれ40年以上のキャリアです。
    千葉県大会で先ごろ優勝したといって喜んでおりました。
    父から学ぼうとしていなかった囲碁に関して多少考えが変わったように思います。
    次回帰国した際に、酒でも飲みながら父にもう一度教えてもらうよう
    頼んでみてもいいかなと思いました。

    これからもコラム楽しみにしております。

    投稿者: 河北

  • 堀さん
    ご無沙汰しています。
    訳あってDIS休会中の碁キチAです。
    最近はナゾさんのblogに出没しています。
    ところで名人の器というブログ記事をみつけました。
    信長の囲碁や茶道との関わりについて述べられている
    箇所がありました。
    これもひとつの考え方と思いましたのでURLをご紹介させてください。
    http://othe.hp.infoseek.co.jp/columun08.html
    勝手ながら信長考察の一助になれば幸いです。
    話変わって誌上対局勝利オメデトウございました
    M・Mさんにも宜しくお伝え戴ければ幸いです。

    投稿者: gokichik

  • コラム、ゆっくり読ませて頂きました。
    単なる遊びという枠を越えて「一生懸命」碁を打っていらっしゃるんだなと思いました。

    囲碁に関することは日頃無意識で思っていることを改めて言葉で表現して頂いた感じで、
    共感する場面がたくさんありました。

    私達プロも同じようなことを思います。
    ただ囲碁が目的であるか手段であるかの違いですね。


    1)囲碁で負けることにより、戦いの厳しさを学び、精神力を鍛錬していた。

    囲碁は、頭脳の戦いでありながらも、精神の戦いでもある。心を平静に保ち、気合が重要となる。決して勝てると思って興奮したり、負けそうだと思って苛立ったりしてはいけないのである。興奮したり、苛立ったりすると必ず負けるものなのである。また、気合が無いと、気合負けするものである。

    戦も同様のことではないかと思う。気持ちが重要である。決して奢らずに、平常心で、冷静に判断することが要求される。

    まさに昨日の私に必要なものでした(ToT)
    確かに精神力はかなり鍛えられると思います。ゲームのはずなのに、こんなに勝ちたいし、勝つ前にここまで興奮するものも珍しいと思います。
    その気持ちはプロならずとも同じと思います。その気持ちをコントロールすることのいかに難しいことか。

    そして気合いがないと集中力に欠けやすいです。
    精神状態が悪いと勝ち急いで冷静な判断力を失い、平静な時には考えもつかない手を打ってしまいます。
    前回の棋聖戦、私が言うのも難ですが、おそらく結城くんは途中から「棋聖」という
    ビッグタイトルが近付き平常心を欠いていたと思います。
    最初の数局は素晴らしかったですが、途中から勝ちを意識している印象を受けました。
    勝とうと思うと手が見えなくなる恐ろしいものです。

    「勝とう」ではなく、今の局面でベストを尽そう、これがいつも心がけていることです。
    しかしそろそろだいぶ鍛えられているはずなのに、同じ過ちをしてしまうところがなんともせつないです(^_^;)
    おっとこれは「慢心」というやつですね(^_^;)

    2)囲碁を通して大局観・判断力を養っている。

    戦も同じものではないかと仮説を立てられる。陣地を取るための戦いをして、局所で様々な戦いがある。その中で、捨石を使ったり、負けそうな場合にはサバいたりする。そして、重要な要所に兵隊を集中させて、一気呵成に攻め込むのである。その際には、対局的に見る力と、複雑なものを構造化・単純化してみる力とが必要なのではないかと思う。

    信長は、囲碁を打ちながら、大局観を磨き、複雑な戦況においての判断能力を養っていたのではないかと思われる。

    大局観、判断力、勝負所でこう打てば勝ち、こちらなら負け、という感覚は本当に大事です。
    これはどの勝負事にもあるかもしれませんが、囲碁の大局観という発想は一番日常の様々な場面に応用できる考え方かもしれません。「着眼大局、着手小局」という言葉は日常のいろんなところで考えます。
    そして強い人が特に優れているのはこの大局観と判断力だとおもいます。


    3)負けることによって、戦略の重要性を学ぶ。
    知識や定石では勝てないのである。重要なのはいかに戦略をたてて、構想を練って、一つ一つの打ち手を出すがである。つまり、知識・定石を使って考える力が重要なのだ。

    経営もそうなのですね。
    知ってて当たり前のことをふまえた上でどう戦略を練っていくか、これが碁の面白いところであり、創造性が試されるところでもあります。

    戦も同じではないかと思えている。戦略の重要性は負けなければ、認識しない。でも、戦では、負けたら終わりなのである。徳川家康は、三方ヶ原で武田信玄に敗北したあと、その時の自画像をずっとかけ続けていたという。そして、常に負けることの辛さを、自らに思い起こさせ、戒めていたという。家康は、幸いにも負けても生き残れたから良かった。通常、戦では、負けることは、死を意味する。一方、囲碁では負けてもいいのである。そして、負けることにより、勝つための願望が生まれてきて、負けないため、つまり勝つための戦略を真剣に学ぶのである。

    負けるのは悔しいです、本当に。
    何かを賭けなくても負けてこんなに悔しく、勝ってこんなに嬉しいのは囲碁独特かもしれません。
    なんかこう負けると自分が否定されたような気分になり、無茶苦茶悔しいのです。
    これは私達プロだけじゃないと思います。子供も連敗すると大概泣き出しますから(^_^;)
    戦で負けたら人生終わりですものね。負ける悔しさ、おそろしさを味わうことはあの時代では生きている中では普通経験できないですよね。
    負けるということがいかに惨めなことか‥こんなに手軽に擬似体験できるのは囲碁独特かもしれません。

    負ける悔しさを知っていれば自然になんとかしようと考えるのは必然ですね。

    とても興味深く読ませてもらいました☆


    梅沢由香里

    投稿者: 梅沢由香里

  • コラム拝見させて頂きました。堀様のありがたいコラムとわかったのですが、ぶっちゃけニートの自分には二割も理解出来なかったです。ですが、碁を打つ者として共感できる所がありました。
    それは、『戦場では一手の失着で全てを失う』という所です。逆に言えば一手はとても大切という事ですよね。(特に死活では)あ〜あ、二手打てればな…というような言葉を今までに二、三度聞いています。(自分は対局に集中し過ぎてそんな事思い浮かびませんが)
    それと、『負けることで戦略の重要性を知ることができる』
    碁を始めたばかりの頃の自分は、この言葉の意味をまったく理解出来ないでしょうね。今の自分にはよーーくわかります。これから話すことは人によってはどうでも良いと思うので、面倒な人は下のほうだけ読んでくださればと考えます。

    碁を始めて一年半、自分はすっかり家に引きこもりになっていました。ですが、父さんの会社の事務所がある建物内に二週間に一度、碁を打っていると教えてもらい、親にわざわざ送り迎えをしてもらってそこにいる人達と碁を打つことができました。
    大人の人ばかりでしたが、最初は勝つぞ!と挑みました。が、置石を三つとか四つこっちが貰っているのに、全然勝つことが出来ませんでした。いやあ、もう全然です。四ヶ月間一回も勝てなかったです。
    本来なら「自分には才能が無いから止めてしまおう」と思うのでしょうが、自分には一つの理由があって碁を続けられました。(というか、止めるという考えが思い浮かびませんでした。自分って都合の良い脳の作りなんでしょうか?)
    それは、負けても悔しさの1、5倍楽しいからです。もちろん勝ったときの方が楽しいですが、自分が成長していくのが手に取るようにわかるからです。そう思った根拠は、ミスが少なくなっていくからです。
    変ですよね?負けても楽しいと思う人は他にも大勢いると思いますが、悔しさを凌駕する程の楽しさがあったのです。自分は送り迎えしてくれる両親に、初めて感謝しました。(口が裂けても直接は言えませんが)
    そして初めてそこで勝ったときは、テレビゲームをクリアした時よりも最高の気分でした。
    その後も実力差をどんどん埋めていき、初めて勝ったときから約十五ヵ月後、目標としていた人相手(その人は初段と二段の間位)に置石無しで打ち、その対局に勝利する事が出来ました。その勝利の礎となったのが、先の地獄の四ヶ月間だったと確信しています。おかげで囲碁を始めてもうすぐ五年になる自分は一応四段で打つようになりました。

    自分は戦略も含めて、囲碁における全てのものを地獄の四ヶ月間で相当磨きました。今は親の仕事の都合もあり、そこには長く行ってませんが、バイクの免許を取ったら行ってみようと思います。
    あと、碁を打って他に活かせる堀様の応用力には尊敬させて頂きます。かなり参考になります。自分は小説家にでもなろうかな…と思っています。
    最後に、ほとんど私事ですみませんでした。暇つぶしにでもなったら幸いです。

    投稿者: kazuma

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