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2006年5月10日 (水)

個人 ブータン旅行記Ⅴ-チベット密教

夜明けとともに目が覚めた。昨夜のディスコの疲れが残っているのか、足が重い。

重い体をプッシュしながら、宿を出る。ニドゥとセレンと再会した。二人とも、昨晩は楽しかったようで、照れくさそうな表情を浮かべていた。でも、昼 間は彼らにとっては、仕事である。民族衣装の制服を着て、ガイドと運転手の役割をしっかりと果たしていた。

先ずは、ティンプー市内の尼僧院を訪問した。そして、タンチョ・ゾンという最大のゾンに向かった。ここには、国王の執務室と寺院が併設されていた。国王の執務室ということは、政治の中枢である。またここの寺院は、夏の間は総本山としての機能を有する。

冬から初春にかけて僧侶はプナカ・ゾンにいるし、今日は日曜日なのでお役人も出勤していない。静かで平穏であった。ゾンの中を鳩が自由に飛びまわっていた。空は、真っ青である。本日も快晴だ。

このゾンの寺院の中で衝撃的な像を目にする。歓喜仏(交合仏)と呼ばれる、 男女が交合している姿を像にしたものである。男があぐらをかいている上に、半裸姿の女性が足をからませながらまたがり、合体している。女性の顔が横向きに上を向いて、男性の唇とくっついている。まさしく合体している姿が、像の形で表現されているのである。

今まで、平面的な壁画や絵で、歓喜仏(交合仏)を観たことがあったが、立体的な像では初めてである。立体的な像になると、うしろ姿の女性の背中の曲線が妙に艶かしい。

この歓喜仏(交合仏)の像が、最高峰の寺院の一番重要な部屋で、仏陀像を挟んで両脇に4体(4対?)づつ置かれているのである。

ニドゥにこの意味を聞いてみた。ニドゥが言うには、「これは、グル・リンポチェの想像の世界の産物で、男は技能(方便)を表し、女性が智慧をあらわす。それらが合体していることによって、瞑想状態となり、悪を退治する力を得るのだ」、という。

そう言えば、後期密教では、タントラと言い、性的なエネルギーをもとに瞑想状態を得る、という考え方があったという。ニドゥに聞くと、「グル・リンポ チェが、ブータンに持ち込んだ密教は、その流れにくみするものである」、という答えが返ってきた。

そういえば、チェリ寺院に行くときには、肌色の男根の絵が(しかももろに)、白色の外壁に大きく書かれているのを目にした。男根には、悪を退治す る力があると信じられ、その絵がお守りとして描かれているのである。ブータンは、性に関しては、かなりおおらかである。

週末市場を覗いてから、空港のあるパロに向かう。パロ空港の近くに、ブータンの農業の発展に携わった西岡京治さんのチェルテン(仏塔)と農場が見えた。ニドゥもセレンも名前を知っており、ブータン人からも尊敬されている。彼の話をブータン人から聞くことができると、日本人としてとても誇りに思えてくる。

パロに着き、ドゥチェ・ラカンという寺院に行った。壁画が美しいということで有名なお寺である。壁画を保存するために、電灯を使わずろうそくのみ使用しているので、中はとても暗い。しかも、壁一面が黄色い布で覆われているので、壁画を見るためには、いちいち黄色い布を捲くり上げながら、ろうそくの灯が届く範囲で鑑賞することになる。薄暗い中で、急な階段を辿り、3階まで登る。黄色い布を捲り上げると、そこには、男女が合体した姿を描いた歓喜仏と、下半身が裸の女性の絵があった。

密教のことをもっと知りたくなり、ニドゥにお願いして、お寺を出てから本屋さんに向かった。1時間程度、曼荼羅やヒマラヤ仏教のことを学んだ。

ヒマラヤには、かつて北にチベット、西からラダック、ネパール、シッキム、そして ブータンという仏教国家が栄えていた。チベットは、1959年に中国 に侵略され、ラダックとシッキムは、インドに併合された。ネパールは、ヒンズー教の影響が強い。従い、現存するヒマラヤの仏教国家は、唯一ブータンのみであることも理解できた。密教の曼荼羅の絵図を手に入れた。

本屋を出て、最後の目的地である、ブータン最古のお寺キチュ・ラカンを訪問した。ここでは外国人観光客がごったがえしていて、あまり多くを感じることができなかった。これでブータン旅行の全ての行程を終えることになった。いよいよ明日、日本に向けて、ブータンを飛び立つことになる。

夕方5時過ぎに宿に着くと、支配人が出迎えてくれた。一通り挨拶をした後、素晴らしいイベントのことを教えてくれた。「今日はゲストを招いたの で、夜7時に是非居間に来て欲しい。ゲストは、チベットの高僧で、ラマ僧の生まれ変わりである」とのことだ。

何という幸運だ。僕は、スピーチの予定時間の15分も前に会場に行って、高僧の真ん前の席を確保した。ワクワクしながら開始時間を待った。7時ちょっと前に高僧が登場した。赤茶色の僧衣に、高僧の証である黄色い袈裟のようなものをかけていた。顔は丸く、穏やかな面持ちであった。

宿の支配人が高僧を紹介し始めた。「このお方は1945年生まれで、2歳の時にチベットのラマ僧の生まれ変わりとして認定された」、とのことだ。ラマ僧の転生仏で、チベットのランクでも14、5番目に入るらしいのだ。僕は、胸を躍らせながらも、一言も聞き逃すまいと、前傾姿勢で集中して話を聞いた。

彼は、スピーチでは、当たり障りのない、仏教伝播の流れ、ブータンの仏教の歴史や、密教の教義の中身などを話してくれた。質疑応答の時間になったので、さっそくいくつか質問させてもらった。他のお客、主に米国人からは、中国のチベット侵略に関する質問が集中した。

「今、どこに住んでいて、なぜブータンにいるのか?」「なぜ、中国がチベッ トを侵略したと思うのか」、「そのことに関して今どう思うのか」、「チベットの独立を望んでいるのか」、「中国の征服後、チベットの文化や宗教的な遺産は、破壊されてしまったというが、それは本当か?」などであった。

僕は、スピーチの後、高僧のそばにかけより、色々と質問させてもらった。暫くして、思い切って「一緒に食事をしませんか?」、とお誘いしてみた。高僧は、「いいですよ」、と快く引き受けてくれた。幸運にも一緒に横に座りながら、お話をする栄誉を与えられたのだのである。「ブータン滞在の最後の晩に、こういう縁があるなんて、何て幸運なんだ」、と小踊りしながら食堂に向かい、高僧との会話を楽しんだ。以下が、高僧から伺った話の抜粋である。

高僧は、2歳の時にラマ僧の生まれ変わりとして認定された後に、高僧となるべく教育を受けてきた。彼は、東チベットの13の僧院のラマ僧としての役割を担うことを期待されていた。しかし、1959年、彼が14歳の時に、大きな人生の転機が訪れた。中国がチベットを侵略してきたのである。

中国軍の侵略に合い、高僧はダライ・ラマとともに、チベットから逃れてきた。その当時6百万人いたチベット人のうち、たった10万人しか逃げて来れ なかったのである。彼の両親も兄弟もチベットに残されたままであった。

インドのシッキムで、12年ほどサンスクリット語などを学んだ後に、1971年、26歳の時にブータンに招聘され、ブータン政府の文化省の教授とし て、博物館や図書館などの統括を行うことになった。その間ずっと祖国チベットのことが気になっていた。

1980年代以降の中国の開放政策もあり、1990年に初めてチベットに戻ることができた。その時は、ラサにしか入れなかったが、1991年には、初めてふるさとの東チベットに戻ることができた(東チベットは、現在四川省に併合されている)。そこで見た光景は、悲惨なものであった。

13の僧院は、全て破壊しつくされていた。殆どの僧侶は殺されたか、自然に死んでいってしまった。彼の母親は、20年間も牢獄に入れられていたのである。中国の文化革命の時に、チベットは徹底的に弾圧され、破壊行為を受けた。中国の侵略の前に6000余もあった僧院のうち、たった97しか残存しなかったという。他は全て破壊つくされたのだ。

今はその僧院を復興するべく、何度かチベットを訪問している。既に9回ほど訪問しているが、毎回ビザを取得するのに苦労している。復興に際しては、日本人の友人にスポンサーになってもらい、僧院の建設費用や僧侶の生活費を賄ってもらっているとのことだ。

現在は、ブータンの首都のティンブーに住んでいる。結婚はしていない。日本にも何度か来ており高野山には、二年前に訪問したらしい。現在は、6 0歳を過ぎたのでブータン政府役人を退官しており、後世の方々のために、ス ピーチをしたりしている、と言う。

僕は、彼の言葉を聴きもらすまい、と集中していた。何を食べたかを覚えていないほどである。他にも、グル・リンポチェ、シャブドゥンの人となりやタントラに関しても、色々と教えてもらった。

そして、最後に高僧に質問してみた。「中国がチベットを侵略していなかったら、あなたはチベットで13の寺院のヘッドとして、僧侶を束ねていることに なっていたでしょう。その人生を変えた中国に対して、どう思いますか?」

「生きている間に起こった事は、全て宿命として受け入れなければならないのですよ」、と表情を変えずに、高僧は淡々と話してくれた。

いつの間にか食堂は、静かになっていた。知らぬ間に他の宿泊客は退席してお り、食堂には僕らのみが客として残っていた。席を立ち、高僧に深くお礼をし、握手をして、再会を誓い合い、別れを告げた。

その夜は、精神的にも、頭脳的にも疲れきっていたのか、すぐに深い眠りにつくことができた。

2006年5月3日
(パロのことを思い出しながら)
軽井沢の山小屋で執筆
堀義人

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コメント(2)

  • いつも楽しくまた勉強させていただきながら、メールマガジンを読んでいます。

    今回のコラム内、西岡京治さんのお話、大変感銘を受けました。
    日本人としての誇りを感じるとともに、私も日本人として誇りある生き方をしたいと痛感いたしました。

    これからも、楽しくメールマガジンを購読させていただきます。
    ありがとうございます。

    投稿者: ドリゲ起業家Satoh

  • 堀さんの探求心に学ぶ事しきりです
    密教も現地でのレポートなんだか疑似体験で自分まで行ったような気になります。
    陽明学等「学び」に対する姿勢と範囲は無限を感じます
    斑目氏の球体組織のごとくにどんどん広がっていくイメージです。広がりといえば今朝の日経にENLケースのヤマト運輸と郵船の提携の記事が出てましたね。創業者の小倉昌男さんが生きてたらこの後どんな手を打つでしょうか?なんて考えました。
    経営や生き方 人生の座標軸においてたくさんの引き出しを持つ事が大切ですね。
    さてパロのつづきは如何に?

    投稿者: 衣笠 光則

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