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2006年12月 7日 (木)

日本人・アジア人・地球人 インド出張 - その5:観光地での「外出禁止令!?」

バンガロールからムンバイ経由で、アウランガバードに着いた。バンガロールのホテルを朝9時30分に出て、アウランガバードのホテルに着いたのは、夕方6時前だ。この移動に実質一日使った計算になる。

この間、僕はひたすら、コラムを書き続けた。バンガロール空港のラウンジ、機内、そしてムンバイ空港のラウンジと書き続けた。それは、今年の9月から 2ヶ月間以上もコラムを書いていない事実の反省に立脚している。つまり、空いている時間を見つけて小まめに書かないと、コラムを書き上げられないと反省したからだ。

日々の仕事に追いやられ、メールは24時間体制であるし、新聞や雑誌などの定期刊行物にも目を通さないとならない。家に帰ると5人の子供が待っているので、東京ではなかなかコラムを書けないのだ。

この2,3ヶ月間に、書きたいと思った内容は結構あった。グロービス主催のサービス・インダストリー・リーダーズ・コンファレンス(SILC)を1 0月の前半に実施した。この最初のSILCは、かなり感動的であったので、ぜひ書きたかったのだ。10月の中旬には、子ども達に学校を休ませて、新居浜の太鼓祭りに参加させた。このエピソードも書きたかった。また、北京・香港の出張やラオス旅行に関しても書きたかった。オンラインの経営情報誌の『globis.jp』の開設に関しても書きたかったし、一号ファンドの投資家の方々が集ってくれた10周年記念ディナーに関しても書きたかった。

まとまった時間を探しているうちに、時が経ってしまい、段々書くのが億劫になってしまったのだ。書かなければ、その経験や見てきた風景は、個人の脳裏の中のみに留まり、時間とともに失せていくだけである。皆と共有できないし、記録としても残らない。さまざまな感動的な体験をしても、コラムの読者とはシェア(共有)できないのだ。今回もこのコラムを書かなければ、インド経済サミットの状況やバンガロールの風景、更には、インドのITの巨人達の横顔も紹介できていないのだ。

「まとまった時間をとれるまで待つという発想では、何も書けない。こまめに空いた時間に、小刻みに書くしかない」。そう自分に言い聞かせながら、今アウランガバードのホテルでこのコラムを書いている。

この地に来た目的は、1つだけである。アジャンタとエローラの石窟寺院を訪問するためである。

僕は、仏教が好きである。「あなたの宗教は何ですか?」と質問されると、「仏教と神道」です、と必ず答えるようにしている。神道は、日本人としては、当然かもしれない。僕の場合は、明治神宮で結婚して、初詣、初宮参り、七五三、厄除け祈願などを一度も欠かしたことが無い。

仏教は主に、密教的考え方に魅かれている。空海が創った高野山に登ったり、座禅を組んだりしている。仏教系の書物は、何十冊も読んだ。当然、旅行も仏教の聖地に行きたくなる。直近では、ブータンの密教寺院、ラオスの仏教寺院、ミャンマーのバガン高原、カンボジアのアンコールワット等を回ってきた。過去には、タイの寺院やインドネシアのボルブドールなども行っている。となると、あとはインドの聖地に行ってみたくなる。

本当は、仏陀が歩いた道(ブッダガヤ、ルンビニー、サールナートなど)を訪問したかったが、今回出張のムンバイ、バンガロールからはちょっと離れていた。そこで、ムンバイから近い、アジャンタとエローラ石窟寺院を訪問することにした。その観光の基地がアウランガバードなのだ。

1日目に、アジャンタ石窟寺院に向かった。ホテルからは約100キロ。2時間の旅である。車中、ガイドさんから、仏教、ヒンズー教、ヨガ、ヨギなどの講義を受けた。そして、到着直前に、アジャンタの解説をしてくれた。

「アジャンタは、紀元前2世紀から1世紀と5世紀から7世紀の二つの時期にかけて、川沿いの岸壁に創られた仏教の石窟寺院である。全部で27ある石窟のうち、6つが紀元前につくられ、21が紀元後につくられていた。石窟寺院は、住居用と寺院用の二つに分かれている。見所は、壁画の美しさと石像である」。

ちょうど解説が終わった頃に到着したので、車を降りバスでアジャンタ石窟寺院の入口に向かった。石段を登ると、素晴らしい景観が飛び込んできた。曲がりくねった川の渓谷の右側の岸壁に、掘られた石窟がいくつか見えるのだ。

石窟の中に入ってみると、美しい仏像の彫刻と保存状態の良い壁画があった。近くにある1番の石窟から27番の石窟まで順番に訪問した。石窟の外壁の石像と中にある仏陀像は、特筆すべきものがある。それにも増して、壁画の美しさは、たとえようがないものである。絵自体の芸術的価値も、非常に高い。「美しい」の一言である。特に美しいのが、第一壁にある、解脱した後の仏陀の慈悲深い表情である。上半身裸でうつむき加減で、哀れみに満ちた表情をたたえていた。美しい絵に心を奪われ、その場から離れられなくなるのと同じ感覚となった。ただ単に立ち尽くすしかなかった。

この形に似たものが奈良の法隆寺にあるという。遠い昔に、インドから日本にどうやって伝播してきたのかと、歴史のロマンを感じぜずには、いられない。

この石窟がどうやってできたかをガイドさんに聞いてみた。ガイドさんの説明によると、この石窟は、僧侶と商人が雨季(6月から9月)に過ごす場所が必要となり、造られたのだという。時の為政者が造ったのか、僧侶が造ったのかは、さだかではない、という。

僕は、その場にいると段々幸せな気持ちになってきた。僕が人類史上最も尊敬する人である、ゴーダマ・仏陀がそこら中にいて、囲まれている感じがするからだ。恐らく、この石窟をつくった人は、仏陀のことを尊敬して、その強い信仰心から、この地に石窟を掘り続け、仏像を掘り、壁画に仏陀の人生などを描いていったのだろう。恐らく、為政者によって強制的あるいは金銭の対価を得て、造ったものではないのではないかと想像してしまう。それだけ、パワフルな信仰のパワーを感じるからだ。

その場にある信仰心の強さ、仏陀への愛を感じとれることができるから、僕は幸せな気持ちに満たされていったのだろう。1つの石窟で許しを得て、仏像の前で座禅を組んでみた。静かな中、落ち着きを取り戻せる瞬間であった。

27番の石窟に行った後、折り返して戻った。最も美しいと言われている石窟には、もう一度帰り道に、許しを得て入らせてもらった。こういうときは、合掌して「ナマステ(こんにちは)」と挨拶をすると、ニッコリ笑って通してくれる。

幸せに満ちたまま、バスで駐車場まで戻り、ガイドさんとともに、車でアウランガバードのホテルまで戻った。僕は、その帰り道、ipodでクラシック音楽を聴きながら、ぐっすりと眠り続けていた。

夜、食事を外で取ろうとしたら、ホテルの人に、「外は、動乱で危ないから出ないほうがいい」、と言われて、しぶしぶホテルのレストランで再度食事をすることにした。食事中に旅行会社の人が来て、驚くべき報告をしてくれた。

「外出禁止令が出たので明日は、エローラに行けない」とのことだ。僕はその背景を多くの人に聞き、テレビを見て、新聞を読んで、やっと理解できた。どうやらこういうことらしい。

インドの最下層部を占めるダリットというコミュニティ(カースト)がある。 ダリットは、不可蝕民(Untouchable)とも呼ばれる指定カーストに位置し、4つのカースト(バラモン、クシャトリヤ、バイシャ、シュードラ)の外におかれている。社会的に差別を受けていて、農奴・下級労働のほか、糞尿汲取り・死体運搬などの不浄と思われる職業を強いられてきた。ダリットを含む指定カースト集団は、総人口の20%近くを占めると言われている。

そのダリットの人々が尊敬するアンべードガル氏(1891-1956)の像が、ウッタル・プラディーシュ州のカンプール市で何者かにより破壊されたのである。この事実に対して、今まで鬱積していた不満が高まり、各地で抗議行動が起こったのである。その行動に対して警官が発砲して、3人が死亡したので、それが暴動に繋がったのである。

その暴動が、僕が今いるマハラシュトラ州に飛び火して、過激化したのである。ムンバイとプーネを結ぶ、デカン・クイーンという高級汽車は、5両に渡り炎上し、バスも攻撃の対象になった。アウランガバード市でも、警官とダリットとのいざこざが発生し、警察が空砲を鳴らすにいたっていたのだ。そこで、その夜8時45分に外出禁止令が発動されたのだ。

食後10時過ぎにホテルの門を出て道路の真ん中に立ってみた。人影1つみえなかった。車が一台近づいてきたので、「外出禁止令を知らないのか」と思ったら、パトカーであった。車からスピーカーで、「危ないからホテルに戻りなさい」と指示をされ、急いでホテルの門の中に戻った。エンジンの音もクラクションのけたたましい音も聞こえず、あたりは異様に静かであった。

この外出禁止令が結局、翌日も開放されなかった。従い、その日は一日中、ホテルに閉じ込められたままだった。せっかくここまで来たならば、エローラに行きたいと思っているので、スケジュールをギリギリまで変更して、アウランガバードでの滞在を一日伸ばした。僕にとっては、「外出禁止令」というのは、悪さをして小さい頃に親から命じられたことはあったが(笑)、政府から命じられるのは、初めての経験であった。「ま、神様がくれた休息日だ」といつものようにポジティブ・シンキングに徹して、昼寝したり、プールで泳いだ り、宿泊客と談笑したりした。

インド人の従業員や旅行客に今回の動乱を聞いても、皆一様に言葉が重い。あまりダリットに関しては、誰も喋りたがらないのである。そういえば、IIMの学長にあたる人に、「今一番抱えている課題は何ですか?」と聞いてみたら、答えは意外にも、「国の政策で、最下層の人々に20%の入学枠を与えなければならないことだ。もう既に、下層の人々に20%の枠を与えているのに、である。この政府の政策に関しては、異論が多いようだ」、と。


ちなみに、アウランガバード市で外出禁止令が発令されたのは、1992年のイスラム教とヒンズー教の衝突があって以来14年ぶりのことらしい。今回の動乱は、宗教は関係が無く、カースト制度の問題なのだ。


今までは、インドのポジティブな面ばかり見てきたが、インドの抱えるさまざまな問題に関して考えさせられる機会となった。
ちなみに、現時点でもまだ外出禁止令は、発動されたままである。


2006年12月3日
外出禁止令下のアウランガバードのホテルにて
堀義人

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コメント(1)

  • 堀社長様 
    相変わらずグローバルなご活動ですね。さて、私も、仏陀については、どんな人か、どんなことを弟子に説いたか、一時期ずいぶん勉強しましたが、私の理解では、仏陀は、偉大な哲学者ですね。たとえば、死後の世界について、「そんなことはわからないが、悟りを得るのには関係ないことだ」と答えています。宇宙や地球、そして生命はどうして誕生したか、進化か創造か、人間の歴史はどこからどこへ向かっているのか、人生の目的は何か、人は死んだらどうなるのか、人はなぜ病気になり、死んでゆくのか、地獄や天国はあるのか、なぜ戦争や暴力、テロ、疫病、差別が無くならないのか、物質世界に対して霊的世界はあるか、神は存在するか、イエス・キリストは神の子か実在したか、これらの質問に対する全ての、首尾一貫した論理的な答えは、釈迦に説法になるかと思いますが、聖書(ヘブライ語聖書:旧約ともいう、クリスチャン・ギリシャ語聖書:新約聖書ともいう)の中にありますね。ロシアの文豪トルストイは、50歳になって、「文学などつまらないムダ話にすぎない」と言って一切小説を書かなくなり、聖書の勉強に傾倒してゆきました。しかし、残念ながら、自分1人の知恵知識に頼ったために、独断的解釈となり、トルストイ教になってしまいました。ニーチェは晩年、狂気となり、怯だなイエス・キリストより盗賊のバラバのほうが上である、と断言しました。ヘーゲルは、聖書に書いてあることを哲学的に言い回しを変えました。哲学と宗教の融合を試みましたが、それゆえにゲーテから評価されませんでした。ダーウィンは、最初の生命は神によって与えられた、と考えました。今西進化論では、「人間はなぜだかわからないが、あるとき、いっせいに2本足で立った」となっています。

    投稿者: IN

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