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2007年7月19日 (木)

組織人 欧州視察団Ⅳ〜サンクトペテルブルグの週末

朝7時にモスクワ空港を発ち、一時間少々でサンクトペテルブルグ空港に着いた。サンクト・ペテルブルグの街中に向かう路上に、ベルリン市にあるブランデンブルグの門に似たものがあり、そこに「1703」と書いてあった。不思議に思い、ガイドブックを見ると、「1703年の5月27日にビョートル大帝がサンクトペテルブルグの建設を始めた」、と書かれていた。300年強前に、ビョートル大帝が、「欧州で一番の都を造ろう」、というビジョンに基づき造られたのが、このサンクトペテルブルグ市である。

本日は、5月26日である。僕らは偶然にもサンクトペテルブルグ市の建都記念日の前日に到着したことになる。確かに街中は、前夜祭の準備で大変な賑わいをみせていた。

朝9時にホテル到着後、一段落してすぐに、エルミタージュ美術館に向かった。宮殿広場の前には、薄緑色の美しい宮殿が聳え立っていた。美術館には朝10時30分の開館とともに入館した。通路の真正面の「大使の階段」に突き当たった。大理石の階段、きんきら金の像、鏡などがふんだんに使われており、豪華絢爛である。窓からふと外を見ると、ネヴァ川のほとりにペトログラードの要塞があった。ここが、サンクトペテルブルグの発祥の地であるという。

大使の階段を昇り、広間に入る。数多くの美術品が所狭しと陳列されている。 ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ルーベンス、ルノアールなどの最高傑作の連続である。「世界各地で訪問した中で、最も美しい美術館である」、と断言できるほどの質と量、そして美術館そのものも美しかった。

2時間強、美術館や宮殿の中を観賞した後、昼食をとった。本当は一日中エルミタージュ美術館で過ごしたかったが、如何せん一泊二日しかこの美しい都市にはいられない。矢継ぎ早に次の目的地に移る必要があった。聖イサク教会に登り、サンクトペテルブルグの全容を把握する。ネフスキー大通りの建都記念日のパレードを見ながらホテルに戻る。部屋で一休みをして、夜はマリンスキー劇場でバレエ観賞である。ロシアのバレエは、息がつまるほどに美しい。バレエ観賞の後、劇場の横にあるバーで、現地の友達(EOの仲間)と合流した。そこで12時過ぎまで、飲んで食べて、騒いでいた。そして、夜中の1時前にクラブに向かった。「サンクトペテルブルのクラブには、夜中の1時前には誰もいないのだ」、という。確かに1時前にクラブに入ったが、誰もいなかった。客が増え踊り始めたのが夜中の1時過ぎであった。美しい金髪のロシア美女が集い始め、土曜日の夜の古都は、盛り上がりを見せ始めていた。僕は、旅の疲れもあったので、友達に感謝をして抱き合い、別れを告げて、市の象徴である「地の上の教会」の横を通って、一人でホテルに戻った。

翌朝、「夏の宮殿」に向かうため、始発の船便に乗った。この「夏の宮殿」のスケールの大きさは、ベルサイユの比ではなかった。宮殿の中を団体客に紛れて案内してもらい、庭園を散策して、噴水と音楽とバレエのショーが始まるタイミングで、正面に戻ってきた。建都記念日のせいか、その当時の装いをしたバレリーナたちが、金ぴかの像と噴水の合間を縫って踊っているのである。青空に噴水の白が映えてとても美しい。そして、広大な緑の庭園である。その壮大な スケールに触れると、ロシアの大国意識というものを痛感させられる。僕は、 ベルサイユと夏の宮殿の対比、そしてルーブルとエルミタージュの対比をすることにより、ロシアの大国意識の源は、欧州の文化に対する対抗意識や劣等感から生まれてくるのではないか、という仮説を持つことになった。それほどまでに、フランス文化を見事なまでに吸収して、更に大きく、豪華絢爛としているのである。

そのようなことを考えながら、船に飛び乗り、サンクトペテルブルグ市内に昼過ぎに戻ってきた。ロシア料理を堪能した後、血の上の教会、ロシア美術館を訪問した。本来は、ゆっくりと週末を過ごすべきところを、またまた「詰め込み型観光」に時間を使ってしまった。それだけ、サンクトペテルブルグの街が美しいのである。1917年の革命前のまま、街全体が保全されているようである。聞くところによると、近年までイサク聖堂よりも高いビルを作ることも禁じられていたという。僕は、欧州の都市を30近く訪問したことがあるが、間違いなくサンクトペテルブルグは、最高峰の一つの都市である。一週間ぐらい、昼間は美術館を巡り、夜はマリンスキーでオペラやクラシックを観賞して過ごしたい、という願望が生まれてくる。

残念ながら、僕ら視察団は、週末の一泊を残すのみとなった。夕方16時過ぎにホテルを出て、フランクフルト経由で、ジュネーブ空港に向かい、車に乗り換えてローザンヌのレマン湖のほとりのホテルに着いた。夜の12時近くであった。

つまり、土曜日の朝モスクワを出て、上記を全て体験したあと、日曜日の夜には、ローザンヌに入っていたのである。実に慌しかったが、とても有意義であった。

2007年6月1日
視察団の帰国の便にて執筆
堀義人

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