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2008年3月10日 (月)

家族人 親子三代「堀チーム」、囲碁団体戦に初出場!

「面白そうな大会があるわよ」と、勉強部屋の隣にいた妻が、ネットを見ながらそうつぶやいた。

我が家は、子供5人の7人家族であるが、3LDKのアパートに住んでいるので、書斎という優雅なものは無く、寝る部屋も全員一緒、勉強部屋も全員一緒なのである。その環境では、僕が自宅で仕事をしている周りで、妻がネットを見たり、子供たちが勉強をしたりしているのである。

妻は、続けた。「第4回オールアマ囲碁団体戦という大会で、『5人一組揃えば誰でもOK』、と書いてあるわよ。おじいちゃま、パパ、長男、次男、三男の5人編成で大会に出たらいいんじゃないの?」、と。

今年4月に、三男が小学校に入学するので、長男(現4年生)、次男(現2年生)と、三男(現年長組)で区立小学校の代表として三兄弟囲碁チームを編成して、団体戦の大会に参加する予定になっていた。その大会に向けて、子供たちは団体戦の実践を積む必要があったのだ。

僕は、仕事のメールチェックをするのに集中していたので、深く考えずに軽い気持ちで「いいんじゃないの」、と応対した。妻は、すかさず周りにいた子供たちにその話をして、僕の実父である「おじいちゃま」にも電話をして、あっという間にみんなの了解を得てしまったのだ。

その後、妻は案内状を主催者である日本棋院から取り寄せて、次の通りのオーダーを書き込んだ。

主将:おじいちゃま 五段
副将:長男      四段
三将:パパ      初段
四将:次男      1級
五将:三男      3級

子供たちは、囲碁を始めてまだ2年経っていないというのに、僕は、長男に棋力で抜かされていて、次男・三男とも棋力が拮抗してきていた(■コラム:「初めての子供囲碁大会」をご参照ください。)

チーム名を決める必要があったので、「堀チーム」と書き込み、親子三代の即席囲碁チームができあがったのである。

僕は、しばらくの間、大会に申し込んだことも忘れていたが、だんだん大会当日の3月9日が近づくにつれ、憂鬱になってきた。「団体戦だから足を引っ張るといけないなあ」、とか、「最近バタバタしていて全く囲碁を打てていないから、打てるかどうかが心配だなあ」、という不安な気持ちに包まれてきたのだ。

大会当日の1週間前になって、下の子供たちの面倒をどうするかが話題になった。我が家には、子供が5人いるので、3人が大会に出ても、まだ2人残っている。その2人は、まだ4歳と2歳。妻は、当日、着物の着付けのレッスンの振り替えクラスがあり、終日外出することになっていたので、お願いできない。

もともと計画では、おばあちゃま(僕の母親)にお願いすることになっていたが、ちょっと心配であった。そこで、それを言い訳に使って、「僕が下の子供たちの面倒を見るよ」と宣言して、僕の囲碁のピンチヒッターを探すことにした。何人か当たってみたが、残念ながら誰も都合がつかなかった。

僕は、観念して、結局大会に出ることにした。四男・五男は、僕の母親と、親しい友人家族にお願いして、まとめて面倒をみてもらうことにした。

大会3日前からようやくエンジンがかかってきた。オーダーを見直してみたが、申し込んだときから、長男、次男、三男の棋力(きりょく)は、明らかに向上していた。長男は実力五段、次男は二段、三男も初段と昇段していた。

長男の副将は不動であったが、三将から五将までの、パパ、次男、長男の実力が伯仲してきたので、「三将決定戦」や「四将決定戦」などを家で行い、大会に備えた。

結局オーダーが固まらないうちに当日を迎えた。朝9時30分に対局開始なので、朝9時におじいちゃまと日本棋院で待ち合わせをした。僕らは、9時ちょっと前に家を出て、走って日本棋院まで向かった。春の日差しを感じながら、子供3人と服を着たまま「かけっこ」である。子供たちも嬉しそうに走っていった。もう既に、僕が走るのが一番遅いぐらいであった。子供たちを追いかけながら、日本棋院に到着した。

2階の会場でおじいちゃまと会い、申し込みを済ませ、抽選を行い、僕らの所定の対局席に向かった。もう既に、目の前には、一回戦の対戦相手のチームが座っていた。机の端に立てられた白いプラスチックの札には、「逗子開成高等学校」と書かれていた。高校の囲碁部のチームが対戦相手であった。チラッと話をしたら、主将から三将まで3人で高校の団体戦に出て、関東大会まで行ったのだという。強敵である。

結局、僕らのオーダーは、申し込みのまま、おじいちゃま、長男、パパ、次男、三男の順番で落ち着いた。そして、横一列に5人が陣取った。

ここで、オールアマ囲碁団体戦のルールの説明をしよう。5人の団体戦で、主将から五将まで横に座り、一斉に対局を開始する。持ち時間は各40分で、その時間を使い切ったら即時間切れの負けとなる。5人1チームなので、3勝以上したチームが団体戦として勝利を収めることとなる。

チームの棋力に応じて、無差別級からABCクラスへと分かれて優勝を争う。無差別級は、オール互先(ハンディ無し)で、他は全てハンディ戦である。つまり、自分の申告した段・級に合わせて、碁石を置いて戦うのである(囲碁の場合には、棋力が違っても、事前に置く石の数によって、ハンディを付けられるのである)。

僕らが出場したBクラスには、全24チームが参加していた。各クラスの中で4つの枠に分けて、8チームごとに三回戦の予選リーグを行い、そのリーグ戦の優勝者のみが、トーナメント戦に出場する資格を得るのである。

単純な計算をするとそのBクラスだけでも、120人(24チーム×5人)の参加者がいることになる。総勢500名近くの囲碁愛好者が、全国から集う大会なのである。

「堀チーム」は、主将のおじいちゃまから上座に陣取り、五将の三男が一番下座で5人が横一列に並んだ。僕は、長男と次男に挟まれて、ど真ん中に陣取ることとなった。

目の前のチームは高校生であるが、周りを見渡すと、ご年配の社会人のチームが多く、その中にパラパラと子供のチームがいた。参加者リストを見ると、東京都庁、JR東海、NECなどの企業名チームが一番多かった。学習院大学の囲碁部や、僕が所属する「ダイヤモンド囲碁サロン(DIS)」のチームも参加していた。

遅れてきたチームの札をみたら、「ホストクラブ仲翔」と書かれていた。「ホストだから夜が遅くて寝坊したのかな」と子供たちと後で冗談を言い合った。それだけ多彩な方々が一同に会する大会である。団体戦ということもあり、各チームそれぞれに仲良さそうだった。

大会審判委員長の挨拶のあと、ルールの説明があり、アナウンスと同時に一斉に対局が始まった。考えてみたら、僕にとっては初めての公式戦であった。さすがに緊張していたのか、最初の一手目では、手が震えているのがわかった。

今回の大会参加にあたって、子供たちと決めていたのは、「最後まであきらめない。囲碁に負けても、気合では負けない」という合言葉であった。僕も、そう言い聞かせながら、打ち続けていった。

しばらくすると、隣の次男の対局が終わっていた。「半目差だ」、という次男の嬉しそうな声が聞こえた。どうやら次男は、最小目数差で、勝利を収めたようであった。そして、一番端の三男も終局を迎えた。どうやら負けたようであった。隣の長男が勝ち、2勝1敗である。

僕は集中しながら、「最後まであきらめない」と言い聞かせながら打ち続けた。終局を迎え、並べたら9目差で勝っていた。厳しい碁を何とか勝ちにすることができた。これで、「堀チーム」は、3勝したので、一回戦の勝利は確定した。最後におじいちゃまが負けて、結局3勝2敗の戦績であった。

僕は、一局打ち終わり、頭が朦朧としていたので、休憩時間に子供たちと外の空気にあたりに行った。気分転換には、最高であった。次の対戦相手は、長谷工コーポレーションの囲碁部であった。8チームのうち、一回戦で勝者4チームが確定する。二回戦では、その勝者同士が対戦するので、厳しい対局が予想された。

目の前のメンバーは、平均年齢60歳程度の老練の囲碁部メンバーであった。時間となり、一斉に打ち始めた。しばらくして、三男の対局が終局を迎えた。対戦相手の、「しっかりとした碁を打つなあ」、「早打ちだから調子が狂っちゃったよ」とかのボヤキが聞かれたので、三男は、どうやら勝利を収めたようであった。

「アタタタタタタ・・・」、と僕は、思わず声を出した。最後のヨセで見損じがあり10目ほど損をしてしまい、逆転されてしまっていたのだ。並べた結果、7目差の負けである。ただ、その敗北は、チームとしての勝敗には関係がなかった。結局、この二回戦は、1勝4敗で敗退した。

そして、昼食である。主催者側が用意してくれたお弁当を親子三代で仲良くいただいた。二回戦で負けても、ほのぼのとした雰囲気であった。逆に二回戦に負けたので、決勝トーナメントに出ることがなくなり、気が楽になった。「あと一局、思いっきり囲碁を楽しもう」、と僕は、「堀チーム」のメンバーに語りかけた。

そして、昼食後の三回戦の相手は、日本アイビーエムの囲碁部であった。双方とも1勝1敗なので、トーナメント線には出られないことが決まっている。また、昼食後だからか、対戦前から和気藹々とした雰囲気であった。

「年長のおじちゃんが年長の子供と打つのか」、と三男の前に座っていたおじさんが話しかけていた。どうやら、保育園の年長組と年長者をかけた、ダジャレの様であった。そんなダジャレを、三男が解るわけも無く、ニコニコしながら自然体で受け流していた。

アナウンスと同時に一斉に対局が始まった。三回戦の結果は、全員、力負けの全敗であった。結局「堀チーム」の団体戦初挑戦は、1勝2敗の結果で終わった。

後で聞いたのだが、社会人の団体戦では、3つか4つハンディを下げてくるのが「常識」らしい。僕が目の前で対戦した二段の相手は、碁会所では六段で打っていると言うのである。その六段の方と初段の僕が、ほぼハンディ無しで戦っても、所詮勝てるわけがない。ゴルフで言えば、シングル・ハンディの人が、ハンディ20と申告をして、勝利を持っていってしまうようなものなのである。

「堀チーム」やおそらく最初に対戦した高校生チームも、実力そのままで申告したので、社会人チームには、ボコボコにされてしまったのである。事実、三回戦で二敗同士で戦っていたのは、高校生チームと小学生チームであった。一方の2連勝のリーグ戦の優勝決定戦は、社会人チームの対戦となっていた。

でも、「堀チーム」には、全く悔しさが無かった。それよりも、家族で大会に出られたのが、とても嬉しかったのである。「最後まで諦めない。囲碁に負けても気合では負けない」、という約束は、皆、守ってくれていたようであった。

日本棋院のショップで、子供たちに2冊ずつ囲碁の本を買ってあげて、外にでた。日本棋院のビルの前で、親子三代囲碁チームの記念写真を撮った。目の前を家路につく各チームがニコニコしながら通り過ぎて行った。

その時間帯に出てくる囲碁チームの参加者は、基本的には予選敗退組である。だが、そうであっても皆一様に楽しそうであった。これが囲碁の団体戦の面白みなのであろう。僕も子供たちも、負け越したというのに、妙に嬉しさが込み上げてくるのである。

家路につく途中に、東郷公園があった。天気が良いので思わずチームで立ち寄ることにした。残念ながら遊具は、工事中のため使えなかったが、心配することは無い。子供たちは遊びの天才である。長男がペットボトルを見つけたので、それをサッカー・ボールに仕立てて、「鬼ごっこ」を4人で始めた。サッカーの鬼ごっこは、鬼に触わられないように、鬼以外の人がパスを回し、鬼がボールを触わったら、ミスをした人が鬼になる、というゲームであった。この場合のボールは、ペットボトルであった。

ジャケットを抜いで、20-30分ぐらい楽しんだ。子供たちも朝から頭ばっかり使って、体を動かしていなかったので、気持ち良さそうであった。体が汗ばんできた。その間、主将のおじいちゃまは、ベンチに座りながら、息子と孫の姿をカメラに納めていた。

満足して家に着いた囲碁チームは、着付けのレッスンを終えた母親とともに車に乗り込み、四男・五男の留守番組が待つ、公営のスポーツ・センターに向かった。そこで、友達家族とも合流した。

僕は、30分ほどの短い時間だが、さっと泳ぐことができた。プールから上がると、大人たちは喫茶店でお茶をして、子供たちは外でサッカーを楽しんでいた。その後、友達家族と、おじいちゃま・おばあちゃま、そして我が家7名の総勢13名で焼肉を食べに行くことにした。

「堀チーム」のメンバーは、主将と三将がビールで、副将・四将・五将がウーロン茶で乾杯をした。

そして、来年も同じメンバーで参加することを誓い合った。ただ、その時には明らかにオーダーは変わっていることであろう。「堀チーム」のレギュラー争いも時を重ねるごとに熾烈なものになることが想像できる。ゆくゆくは、四男、五男が、パパを追い抜き、そしておじいちゃまをも追い抜くこととなったら、「堀チーム」は、「親子三代囲碁チーム」から、「五兄弟囲碁チーム」に衣替えすることになるのであろうか。それはそれで本望ではある。

妻に運転を代わってもらい、ほろ酔い気分で家路に着いた。いつものように、子供たち5人と一緒にお風呂に入り、前日借りてきた「ドラゴンボールZ」のDVDの続きを見て、寝室に入った。

我が家では、寝るときも全員同じ部屋なのだ。2段ベッドに3つのベッドをつなげて重なり合いながら寝ているのだ。「堀チーム」は、チームワークだけは、日本一なのである。

2008年3月10日
三番町の自宅にて執筆
堀義人

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コメント(2)

  • 私の息子は11歳・囲碁でなく将棋好き。
    従兄弟は13歳にてテニス単身留学、
    18歳でいまや世界トップクラス。
    色々違っても「ドラゴンボールZ」は皆が愛好する様ですね。
    がんばれガイズ!

    投稿者: Boston

  • 僕はいつも堀さんが5人もの子供に手をかけていることに感心するな・・・。
    うちは子供は3人ですが、ほとんど家内に任せばなしで、いかんな〜と思いながら
    も、なかなか子供との時間を作る事できない(・・・しないというのは本音で、でき
    ないというのは言い訳かも・・・)状態です。
    いまの社会では、パパが家族のために、一所懸命働いて、しかし、時にはその家族と
    の大切な時間まで犠牲して働くことになる。目的と手段の本末転倒が起きている気が
    します・・・。

    投稿者: 吉山 周作

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