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2008年7月23日 (水)

個人 アスペンで「人間学」を学ぶ〜その2)何を学んだのか。

最後の日に手渡されたアスペン研究所の証書には、以下記載されていた。

「アスペン研究所は、(1)啓発されたリーダーの醸成、(2)古典を通しての不朽の知恵や価値の尊重、(3)現代の諸問題へのオープンな意見交換、を目的に1950年に国際非営利団体として創設された。セミナー、コンファレンスなどを通して、国際的な共通基盤と政党に偏らない課題を討議する役割を果たす」

僕が参加した、一週間のプログラム以外にも、さまざまな企画があった。同時並行的に、法曹界のリーダーや、ナイジェリア国のリーダー向けのプログラムも行われていた。

僕らが滞在していた間にも、イラク問題に関して、ベルギー大使を務めた方のスピーチが主催された。翌週には、ヨルダンのアブドラ国王のスピーチがあり、その翌週には、ダライ・ラマのご登場である。とても贅沢な顔ぶれである。

趣旨に記載された通り、議論もかなりオープンなものである。標高2400mの自然の中にいると、気持ちもオープンになり、下界の喧噪などを忘れてしまうのであろう。

僕は、その間ひたすらテキストを読み続け、議論に積極的に参加し、自らと問答を繰り返した。
アスペンのディレクターによると、このセミナーを通して三つの議論をして欲しい、というのだ。

一つ目が、「テキストとの議論」。二つ目が、「参加者との議論」。そして三つ目が「自らとの議論」である。

まさに、その通りであった。僕は、三つの議論を繰り返し行った結果、さまざまな発見があった。それをコラムの読者の皆様と共有したいと思う。

1)西洋文明の基盤が良くわかった。
2)ソクラテスの発見。
3)英語で難解な文章を読み、抽象的なことを議論する力を得られたこと。

一つずつ共有して行こう。

先ず最初に、西洋文明の基盤が良くわかった、という点である。高校時代に豪州シドニーに留学し、その後、米国の大学院で学んだので、彼我の文化の違いをよく理解していたつもりだったが、その違いの基盤がどこにあるのかは、正直言って良く分かっていなかった。今回、西洋文明の古典を読み続け、参加者と議論を重ねるにつれて、それがわかったような気がしてきた。

西洋哲学は、主に権利と社会契約、人権と平等、権力の集中・分散などの政治的システムの在り方などがその対象になっている様に理解できた(少なくとも、それに関する議論が主であった)。

誤解をおそれずにシンプルに考えると、西洋では、絶対君主が君臨するなかで、マキュアベリ的な「仁愛」よりも「恐怖」で統治することが勧められてきた。その中で、人民が生まれながらにして持っている「自然権」という概念が生まれ、それを統治者に委ねる「社会契約」の発想が生まれ、民主主義と基本的人権の確立、そして法の下の平等という形で進化していったのである。

その間に宗教や社会的風習などの呪縛からの脱却を哲学者が率先して行い、合理性が尊重され、思想・哲学が広く受け入れられ、その結果、宗教改革、ルネッサンス、そしてフランス革命や独立宣言につながっていくのであろう。

そしてそれらの「人権」、「平等」、「民主主義」などに影響を与えてきた思想家が、エラスムス、デカルト、ホッブス、ルソー、ロックなのである。僕は、議論を通してそう理解した。

「なぁんだ、その程度か」と思われる方が多いと思う。だが、僕にとっては、彼らの基盤となる思想・哲学を参加者との集中的な議論を通することによってのみ初めて、腹落ちするまで身に染みてよく理解できるようになったと、思えてきているのである。

そもそも、そんな哲学的な議論を西洋人の友達と過去にしたことが無かったので、僕の無知さ加減も無理もないものであろう。今までは西洋哲学などを書物では学んできたが、議論をしてきたことは無かったのである。ある意味、議論を通して初めて、それに気づき理解が得られたのである。

一方、東洋や日本の思想・哲学は、おもに道徳や心学という、行動規範や心の在り方が中心となってきたような気がする。

孔子の議論の時におもしろかったのは、「悪徳があっても結果を出せば、そういうリーダーの方がいい」という意見が主流であった点である。西洋では、戦略的且つ強権的なリーダーの方が、徳の有る無しに関係無く好まれるようであった。

そして二つ目の学びは、ソクラテスの思想にふれる機会を持てた点である。僕にとっては、これがとても大きかった。今まで、ソクラテスは、プラトンの「ソクラテスの弁明」からしか測り得なかったのだが、このプログラムを通してその人間性の豊かさに触れることができたのが大きかった。

彼は、「国家」の中で、以下の様に述べるのである。
(注:僕なりの解釈がかなり入っています)

ソクラテスは、今の世の中を「暗い洞窟の中に住む下界」という表現を使って形容するのである。その洞窟の中では、物質的な豊かさを追い求め、富、名声、そして権力という幻想(影)を追い求める人々がいる。

一方、知的、そして精神性が高い人々は、光輝く上界にいるのである。知性と美徳がその上界での価値体系である。上界に達した人々は、明るい太陽のもと、知的、精神的にも心地よい生活を送っているのである。

その上界の人々に、ソクラテスは言うのだ。「下界に行って社会全体の幸福を成し遂げてきなさい。その時には、知的・精神的な高みを忘れないように」、と。そして、ソクラテスは、プラトンの言葉を通して、「哲人政治」の理想を掲げていくのである。

もう、「ブラボー」と思わず叫んでしまいたくなるような見事な流れである。

アスペンを通じて、さまざま知的感動を得られた。キング牧師の手紙の論拠と説得力の高さ。マルクスの明晰な社会分析能力。ホッブスの思想の独創性とロックのさまざまな視点をまとめ上げていく力。それらの中でも、ソクラテスの思想には、シンプルな中に感銘を超えるものが数多くあった。まさに鳥肌が立つ感覚である。別のテキストの中でソクラテスは、「神聖なる狂喜として、酔狂、エロチズム、そして白昼夢」を上げているのである。神聖なる狂喜(Divine Madness)だというのだ。もう惚れこんでしまった感覚である。

そして、三つ目の学びは、英語で難解な文章を読み、抽象的なことを議論する力を得られたことである。最初はテキストを読んでも、さっぱりわからなくて苦労したものである。

一つ決めていたことがあった。「絶対あきらめずに、わかるまで何回も何回も読み返そう」ということだ。せっかく学びに来ているので、その機会を無駄にしたくなかったのだ。辞書を片手に何度も何度も読み返し、歴史的背景がわからないものに関しては、ウェブで徹底的に調べ上げた。そして一生懸命に論旨を構造化し、単純化するようにつとめ、自分なりに理解することとした。その結果、かなり輪郭がわかるようになり始めるのだ。

クラスでは、ひたすら議論の流れを聞き、本質を把握して、自分の意見を組み立てて、根本的な問題に関してのみ発言をすることにした。その結果、かなりの手ごたえを感じることができた。

今回のアスペン・セミナーに参加しようと思った理由の一つが、「ダボス会議のような国際会議の場で英語で議論をする力を身につけたい」という思いだった。以前は、起業とかベンチャー・キャピタルなどのテーマを中心として国際会議の場で話をしてきたが、最近は組織論・リーダーシップ、教育論、さらには地球・環境問題など多岐にわたる主題に関しても、パネラーとして登場する機会が増えてきた。

それら全ての事象の根幹をなすのが、人間に対する深い理解である。その理解のためには、その思想と哲学、そして歴史的な流れ、さらにはその概念・言葉を自分のものにする必要があった。

今回の一週間のプログラムをとおして、どのような議論であっても、本質を見極めながら意見交換できる英語力を、ある程度は身につけることができるようになったような気がした。

これは、勘違いかもしれないが、そのようなかすかな自信を持てたことは、自分にとっては大きな収穫であった。それだけ集中して学んで、議論をしてきたのである。ちょっとした成果・ご褒美というものがあっても良かろう。

最後のクラスの後で、皆とは抱き合って別れを告げた。彼らがそれぞれ何を持って帰るのであろうか。ある参加者は、「せっかく学んだことを、飛行機に乗った瞬間に忘れては行けないのだ」と自戒して言っていた。

ソクラテスが言うには、「暗い洞窟の中の下界」に住む場に、「知的、精神的に進化した上界」から降り立つ時には、知的・心的な高みを維持しないと、下界の洞窟の中に同化してしまうのである。

アスペンという標高2400mの「上界」で精神的にも知的に学習し、向上した住民が、今、「下界」に降りたとうとしているのである。

キング牧師の手紙の中に書かれていたシンプルなメッセージは、「正義を行い、そして立ち上がれ」である。

キング牧師の様に高い正義感を持ち続ければ、社会全体の幸福の醸成に寄与できるのである。その間に、キング牧師は投獄されるという憂き目にもあっているのである。知的、精神的な高みを維持するのは簡単ではない。強い精神力が必要となるのだ。

そのような人々こそが、グロービス経営大学院が理想とする、「創造と変革の志士」であるのだ。

グロービス経営大学院のコースとして、「古典に学ぶ人間学(仮称)」というものを作りたいと強く思い始めた。「経営道場」で学ぶ陽明学やリーダーシップとともに、人間力の開発に寄与すると思うからだ。

そう思いながら、帰路に着いた。
一週間の「上界」での学びから、今「下界」に降りたとうとしていた。

2008年7月20日
成田に向かう機内にて執筆
堀義人

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コメント(1)

  • いちばん印象に残ったコメントは以下です。
    孔子の議論の時におもしろかったのは、「悪徳があっても結果を出せば、そういう
    リーダーの方がいい」という意見が主流であった点である。西洋では、戦略的且つ強
    権的なリーダーの方が、徳の有る無しに関係無く好まれるようであった。」

    先頃亡くなった米原万里さんは、
    欧米人の攻撃的な物言いの洗礼を受けた経験から「グローバル化の奔流の中で、対立
    回避という日本の美徳は、限りなく悪徳になってきている」と書いていました。

    これも堀さんがコラムにありましたが、
    「一方、東洋や日本の思想・哲学は、おもに道徳や心学という、行動規範や心の在り
    方が中心となってきたような気がする。」
    まさにその通りで、たとえ真理であろうと、心の在り方が、相手に見えなければ
    価値がなくなってしまうのです。逆に、たとえ悪徳があっても、その存在を見ること

    できれば対処のしようがある、折り合い(Negotiate)をつけることができると考える
    のが、欧米人なのではないでしょうか。

    従って日本のリーダーは、この2つの対立した真理をバランスさせることができなけ
    ればいけないと感じるようになりました。どちらが正しいか、どちらを選択するかと
    いう議論より、どのように上手く並び立たせるかを考えるのが、われわれ世代の役割
    ではと思います。

    その意味で、この時代とグローバル社会を理解し、リードできる日本人のリーダーを
    多く輩出するのがグロービス経営大学院の果たすべき役割であるかも知れません。
    したがって、堀さんの以下のメッセージにも賛同します。
    「グロービス経営大学院のコースとして、「古典に学ぶ人間学(仮称)」というもの

    作りたいと強く思い始めた。「経営道場」で学ぶ陽明学やリーダーシップとともに、
    人間力の開発に寄与すると思うからだ。」

    投稿者: 尾関好良

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