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2008年11月28日 (金)

日本人・アジア人・地球人 インド出張報告その①~ムンバイの風景とテロ

たったの48時間程度の違いであった。ムンバイで泊まっていたホテルにテロリストが襲撃して、100名以上も殺傷し、今も籠城しているという。宿泊していたホテルのロビーが血に染まっているかと想像するとゾッとする。間一髪の違いである。神に感謝するしかないのであろう。一方、その後に泊まり被害に逢った方々には冥福を祈らざるをえない。

僕にとって、このような体験は、二回目である。前回は、ヨルダン訪問記でも書いたヨルダンの首都のアンマンのホテルに滞在後、一週間後に起こったテロリストによる自爆テロである。その際には、数十名が死傷し、僕の友達もその時は巻き込まれてしまっていたのである。

その友達は、パレスチナ人の起業家で、非常に優しい人であった。僕とともに、ヨルダンの死海で開かれた世界経済フォーラムの会合に参加をして、彼とはいろいろと意見交換させてもらった。彼は「もうそろそろ結婚するんだ」と嬉しそうに、話をしていたのを良く覚えていた。

その友達は、その日結婚式の打ち合わせをするために、会場となる予定のアンマン市の高級ホテルに向かい食事をしていたところに、自爆テロが襲ったのである。奥さまとなる予定の婚約者は、幸いにもトイレに行っていたのでテロを免れたのであるが、友人は爆発で亡くなってしまったのである。婚約者がテロによって他界するのを目の前にする姿を想像すると、いてもたってもいられなくなる。

そして今回は、ムンバイである。ムンバイのテロの発生後、僕はすぐにムンバイにいるインド人の友達にメールをした。彼からは、すぐにメールが返ってきて幸いにも彼の無事を確認することができた。ほっと胸をなでおろす瞬間であった。

テロ発生直前のムンバイで見てきた風景をコラムにまとめてみることにした。

僕は、先週の金曜日に成田発でムンバイに向かった。目的は、「フォーラム」に参加するためである(フォーラムの詳細は、別コラムで記載する)。夜7時過ぎにムンバイの空港に着いた。この年に来るのは、3回目ではあるが、毎回混沌とした「カオス」という言葉がぴったりな気がしている。

空港からホテルは30kmほどの距離なのだが、高速などはなく、いつも交通渋滞に巻き込まれてしまう。今回は、2時間もかかってしまった。車が交差点に止まる度に、赤子を連れた母親か小さな子供が物乞いしに、窓ガラスをコンコンと叩く。僕は、目のやり場に困ってしまう。無視するのも忍びないし、一方では寄付をするとこれからも危ない物乞いを続けることになるのであろうから、それも良い気がしない。そう思っている最中に、車は発進する。
その連続であった。

窓の外に見える景色は、貧民街に近いものである。中には道路脇の歩道で寝ている人もいる。カルカッタ(コルコタ)とボンベイ(ムンバイ)と都市は違うが、マザーテレサのことをついつい思い浮かべてしまう。

そして、車はムンバイ市内に近づいた。「女王の首飾り」という海岸を右目に見ると、正面の方に見えるのが、宿泊予定の高級ホテルのトライデント(旧:ヒルトン・インターナショナル)とその横にあるのがオベロイである。この二つは、タージマハルホテルとともに、ムンバイを代表する高級ホテルなのである。

(今回のテロリストは、この3ホテルをターゲットにしていた。僕らは、トライデントホテルに滞在中に、オベロイのインド料理店で昼食をとり、タージマハルホテルのプールサイドで、夕食をともにしたのである。テロの襲撃2日前のことである)。

貧民窟のようなところから、あのような近代的なホテルを見ると、不思議な感覚になる。この国の貧富の烈しさを痛烈に感じるのである。

そして、僕らを乗せた車は、トライデント・ホテルの中に滑り込んだ。セキュリティ・ガードがしっかりと警備する中、ホテルの中でチェックインを済ませた。

翌朝、「女王の首飾り」は、美しい孤を描く海岸線と変身していた(昼間は、「女王の首飾り」ではなくてマリン・ドライブと呼ぶらしい)。海岸線には、もやがかかっているように見える。天を仰ぐと青い空、つまり快晴なのだが、対岸の景色はぼやけて見える。どうやら、公害で空気が汚れているのである。そのぼやけた景色を見ながら、僕は滞在中3日間、毎朝このプールで泳ぐこととした。

ファーラムの間に、「ムンバイを知る」、という目的で、フォーラムのメンバー6人でムンバイ市内を観光した。最初は、タージマハルホテルの前に広がるインド門、そしてフォート(砦)地区に広がる英国植民地時代の歴史建築物である。ムンバイ大学、美術館や世界遺産にもなったビクトリア駅などである。著名な建築は全て植民地時代のものである。

インドは、多様性と格差がある国である。昨年の世界一の富豪は、インドから出ているのである。一方では、想像を絶するほどの貧しい人がとてつもなく多い。宗教も、ヒンズー教、イスラム教、ジャイナ教、仏教、ゾロアスター教など多様である。言語も、ヒンディー語、マタティ語(ムンバイで喋られる)など15の主要言語がある。そしてカースト制度もまだ存在している。

観光では、その多様性を見ることになる。高級住宅街にあるジャイナ教寺院に向かったのちに、日本式仏教寺院だ。高級住宅街を見た後には、カーストのアンタッチャブルと呼ばれているカーストの外にいる人々が働いている洗濯工場(と言っても青空のもと手作業で洗っているのである)見学である。

そして、インド独立の父、ガンディーが住んでいた住居を改造した博物館を経て、ムンバイの観光を終えた。

インドは、BRICsの一角を占め、2025年には日本を追い抜き、米国・中国に次ぎ世界第3位の経済国になると予想されている。

しかし、僕は、その予測に懐疑的である。インフラの未整備、政治のリーダーシップの欠如、貧富の格差、教育機会の不平等、カーストなどの差別。問題は山積である。そして、今回発生したようなテロである。

サブプライム・バブル崩壊でインド経済は打撃を受けていたのだが、このテロでさらに深刻になると思われる。人口が多いからと言って、経済が大きくなるとは限らないのである。

もちろん、ミドル・クラスの躍進、数学を中心とした教育レベルのアップ、アウトソーシングなどのIT産業の勃興、優秀な人材などプラス面はかなりあるのは事実である。

しかし、僕は、一番残念なのは、富を得た一部の資本家がそれを民に還元しようとする姿勢が足りないことだ。世界一の大金持ちになったリライアンス社のトップのアンバニ氏は、その富を数十階建ての自宅を建てたり、ジャンボ・ジェット機をプライベートに買ったりすることに使っているようである。

インドは、仏教などを生み出した国ではないか。なぜ慈悲の精神で、その貧民を救おうとしないのであろうか。

そこに大きな問題があると僕は思っている。
未だに高級ホテルのテロの籠城は終わっていない。早期の解決を切に祈っている。

2008年11月28日
出張中のホテルにて執筆
堀義人

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コメント(4)

  • インドの発展が頻繁に報道されますが、堀さんの仰るとおり、実際はまだまだ「貧困」が社会の大部分を占めていると思います。全国どの地方の片田舎に行っても、同じような生活水準で人々が暮らしている日本という国は本当に素晴らしい国だと思います。私たちが普段何気なく享受している平和や安全や健康といったものに、改めて感謝の気持ちを持って、日々を過ごしていかねば、との所感を持ちました。

    投稿者: 池永

  • 堀学長、ご無事で何よりでした。胸をなでおろしました。
    五人のご子息と奥様や家族の皆様も本当に心を痛め、今も心配をされていると思います。
    テロは絶対悪だと思います。どんな目的があっても、それは社会的・人道的に許されるものではなく、悪に対しては断じて追放の声をあげ、世界中の世論を動かす活動をしていかなくてはと思います。
     話は変わりますがなぜ、テロや戦争の指導者に女性は少ない(いない)のでしょうか。
    私は女性が、また母がひとつの生命を産み、育んでいくことの尊さ・偉大さ・大変さを身をもって実感されているからだと思います。
    女性の指導者はみな生命を尊厳とみなし、戦う勇気のある方ばかりでした。ジャンヌダルクやフランス革命でバスチーユ陥落の際に民衆を守る先頭に立った方も一民衆の女性でありました。M・ルーサーキング牧師のあとを継いで人権闘争と黒人の生命尊厳のために戦った闘志もローザ・パークス女史であり、地球生命を守ろうと活躍しているのも
    ワンガリ・マータイ女史です。また写真をみるとガンジーのそばにも「塩の行進」の際、多くの女性が非暴力運動に参加されていました。ルーズベルト大統領の奥様も人間の可能性に言及する素晴らしい箴言を残しています。
    女性は生命を破壊するという行為は自分を破壊するということを身をもって知っているからではないでしょうか。
    育むことの偉大さ、人間の可能性を信じ切っていけるのは
    女性にその能力が本来備わっているからなのでしょうね。
    いよいよ、女性の世紀に入ってきたことを痛感します。
    平和のフォートレスを築くため、テロや戦争という悲惨をなくすには女性の活躍が必要であると改めて思いました。
    地位や名誉、権力をもった人(多くは男性です)がテロの指導者になることが多くあります。博学で学問を探究している人も指導者や執行部の中には多くいます。
    しかし「なんのため」を心問い続けてこなかった人は政治家であれ、財界人であれ、立派な教授であれ、皆、悲しい晩年を送っています。それではあまりに不幸です。
     前モスクワ大学総長でロシア科学アカデミーのヴィクトル・A・サドーヴィニチィ氏はこんな言葉を残しています。
    ある記者に質問を受けた際の言葉です。
    「博士、社会における教育の役割とはなんでしょう?」と
    聞かれ、サドーヴィニチィ博士は「その質問は【教育における社会の役割は】なんでしょうというべきではないですか」と。
    人間に、生命にターゲットをおく根本教育の大切さをを教えた先哲ならではの至言だと感じました。

     今は亡くなりになった方へのご冥福とその遺族の方々が一日も早く故人となってしまった方の意志を引き継いで立ち上がられんこと、また事件の一刻も早い解決を切に祈っております。

    投稿者: 和賀 公威

  • 初めまして、堀さん。

    私は野網と申します。現在大学生です。
    MBAに興味を持ち出したころ、堀さんの名前を知りました。
    昨日の大阪校でのお話は私にとって大変有意義なものとなりました。
    「経営」とは何か、前よりは少しわかったような感じがします。また、五原則に関しては私の頭の中に常に入れておきたいと思います。

    本当にありがとうございました。


    当たり前のことですが、私は「テロ」という言葉を耳にすると心が痛みます。今でも、あの9.11のビルに旅客機がぶつかる姿が鮮明に思い浮かべることができます。何か映画でしか見ることのないようなあのシーンを。

    私は、アメリカしか行ったことがないので、堀さんが目にしたインドの格差など情勢はあまりわかりませんが、日本はまだ平和だなと感じました。
    しかし日本でも最近は、「テロ」まがいな事件がよくありますね。社会に対しての不満が大きいのでしょうか。日本の自殺者数もかなりのものですし。

    とにかく平和を祈るばかりです。
    堀さんが無事で何よりです。
    昨日は本当にありがとうございました。

    またお目にかかれることを楽しみにしています。

    野網

    投稿者: 野網 達希

  • 堀さん ご無沙汰です、池田です 「生かされている」という表現がありますが、私は時折、歴史の中でどんな危機も乗り切り生きながらえる人と、志半ばにしてこの世を去らざるを得ない人という選別が何故どのようにして生まれるのか?を考えます
    例えば、織田信長が本能寺の変を生きながらえたら歴史が変わったどころか、日本人の気質や文化まで現在のものとは大きく異なったものになっていたと思うのです でも、そうはならなかった 何故? 徳川幕府が大政奉還から明治維新に到る流れは組織が老化して周りの変化に対応出来なくなって起きる歴史の自浄作用、エボリューションかと思います 一方、本能寺の変は歴史上のアクシデントではないのか? スペインのフランコはそれまでの世界史の流れから見ると打倒されるべき存在に見えます
    でも、倒れなかった 何故倒れなかったのか? 倒れなかったこともアクシデントではないのか? 彼等は何故に運命を選別されたのか? あるノーベル賞受賞物理学者が、「研究が極まれば極まる程、その先に神の存在を感じる」と発言しています 「今、未来に向かって自分がどの程度必要とされているのか?」また「何にとって必要とされているのか?」そして「それが自分に与えられる時間とどのように関わっているのか?」、「その時間とは、自分の今、または次の瞬間の選択によって常に変化しているものなのか? それとも予め決まっていることなのか?」、こういったこの世の不可思議=人間の力を遥かに超越した力を思う度に思うことは、人は生きていると同時に、やはり、生かされているのだということです インドの48時間の時差はきっと堀さんに与えられたものだと感じます ノーベル賞学者が何を指して「神」としたのか? 自然の摂理なのか? 時間と空間を司る未解明の物理的仕組のことなのか? 何れにせよ興味深いことではあります でも、助かって良かった

    投稿者: 池田宏之

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