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2010年2月 1日 (月)

日本人・アジア人・地球人 ダボス会議2010〜(5)ダボス2日目の風景

時差の影響もあり、朝5時に目が覚めた。メール返信が終わると、もう既に朝6時半である。ダボス用のスノーブーツと帽子、スカーフに手袋、そして大きめのリュックサックを背負い、朝7時過ぎにホテルの部屋を後にした。外は、まだ暗い。雪がパラパラと落ちてくる。昨晩から降り続けたのか、歩くたびにサクサクと音がする。滑り落ちないように、一歩一歩確認しながら、坂道を歩き降りていく。

僕の宿泊しているホテルは、メインストリートから道を二つ上がった高台の上に立っている。目の前には、教会がある。その教会とホテルの間の細道を降りると、シャトルバスが停まる裏通りに出る。その裏通りをまたさらに降りると、高級ブランドのショップが立ち並ぶメインストリートである。メインストリートを左に曲がり、ひたすら歩くとメイン会場となるコングレス・センターに到着する。10分ほど歩くと、セキュリティーチェックの小屋に入る。空港並みのセキュリティーチェックを受けて、外に出て、やっとメイン会場に到着するのである。入口のクロークで、コート、帽子、スカーフなどを預けて、朝食会の会場に向かった。

朝7時30分から、成長する企業の「世界会議」が開催される予定になっていた。メンバーは、10名強。米国1、欧州3、中近東1、インド2、中国1、そして日本からは、僕が代表して参加する予定であった。開始時間の10分前に部屋に着いたので、参加者が少ない。すかさず日本では遠慮して座らない、主催者のド真ん前の所謂上座に陣取った。世界に来ると、全てが早い者勝ち、主張したもの勝ちなのである。遠慮していては、いけないのだ。

会議が始まった。やはり、インド人や欧米人は、積極的に発言する。手を挙げている人がいても、それでも構わずに発言する人がいる。僕も、負けじと発言をすることにした。前の人の発言が、終わるか終わらないかのタイミングに喋り始め、一気に話の流れを持ってこなければならない。ハーバードで仕込まれて、その後、YEO(現EO)の国際理事会、エイパックスのボード・ミーティングなどの経験を経て、発言手法に関しては、十分に鍛え上げられていた。

いつも感じるのは、その会議の場で、しっかりと貢献したかしないかが、その後の評価を決めていくという点である。その場で、全く発言しない人は、存在感がどんどん低下し、発言をする人は、存在感が増してゆく。そうなると、皆が一目置き始めるので、次の発言がしやすくなる、というグッド・サイクルになるのである。

この会議は、朝9時前に終了した。部屋を出て、この後のスケジュールを確認すべく秘書が作成してくれた、本日のスケジュール表に目を通した。ダボスでは、同時並行的に10から20のセッションが開催されている。2500人近くが参加しているので、仮に20あっても、1セッションあたり平均すると100人以上が参加することになる。人気セッションには、皆が殺到することが予想されるので、事前に、インターネットで登録をするルールとなっていた。

この登録を怠ると、セッションが満員となり、セッションに欠員が出るのを並んで待つしかなくなってしまうのだ。ちょうど、飛行機でウェイティングをかけて、並んで待っているのと同じ状態である。僕は、出発前に全てのプログラムに目を通して、予約の受付を開始するとともに申し込んだので(秘書に申し込んでもらったので)、幸い希望のセッションがほぼ全部取れたのだ。

会場で、竹中平蔵さんにお会いしたので、一時間ほど情報交換をした。考えてみたら出張に来てから、日本人とはほとんど会話をしていなかったのである。しかも前日から、ずっと会議やコンファレンスで、英語を使いっぱなしだ。出張中に、たまに無性に日本語を使いたくなるときが来るのである。

朝10時15分から「次世代の材料」というセッションに参加した。部屋の前面が全てスクリーンという、「Studio」と命名された会場でハーバード・デザイン・スクールの教授(日本人女性)とMITの建築科の教授が、次世代の材料はどうなるのかということを議論していた。次世代の材料は、チタンでもなく、プラスティックでもなく、何とその地元でとれる土や石なのだという。そして、建築で今後重要視される指標は、「CO2消費の効率性」だという。つまり、建設に消費するCO2と、維持するのに消費するCO2を、トータルでいかに削減するかが重要になるというのだ。冒頭で、コーラの缶を完成させるのに、どれだけの生産工程を経て、どれだけの距離を移動し、どれだけのCO2を消費しているかを示したスライドを見せられたあとに、「地元でとれる土や石を使うことの重要性」を説かれると、妙に説得力があるものである。

次に、続けて同じStudioで、「情報化社会がどのように人間の行動を変えるのか」を論じるセッションに参加した。あまりこれと言って新しい発見は無かったが、生まれつきネット、携帯がある環境で、ソーシャルネットワーキングをし、ゲームをしながら育っていく子供たちには、どのような教育が適切なのかを、考えさせられた。ま、基本的には、知識社会において必要な人間の資質というのは、ネット環境がどうあろうが、あまり変らない様な気はしている。

昼食は、特にアポイントを入れずに、メイン会場でサンドウィッチを食べながら、多くの参加者とネットワーキングをした。歩き回り、知り合いに会うと、近づき握手をして、近況をアップデートしていくのである。これを何度も何度も会う人、会う人と繰り返していくのだ。ソファーに座って食べていると、クウェートで航空会社を経営する人とかなり長いこと話し込んだ。心の通う会話をすることによって、「知り合い」のステージから、「友達」のステージになっていくのが、実感できる。最終的には、「仲間(同志)」や「親友」までの関係性を深めることができると、さらに人生が豊かになっていく。このプロセスを経て、世界中に、仲間が増えていくとこんな楽しいことは無い。その後直接会えなくても、クリスマスカードの交換をしたり、メールでたまに近況を報告したりすることによって、繋がっていられるのである。

「ネットワーキング」と言えば、先のセッションで、面白いリサーチの発表があったので、ここで紹介しよう。ビジネスプラン・コンテストのレセプション会場で、積極的にネットワーキングをしている人をトレースしていくと、結果的にその人が、賞を受けることが多いのだという。その関係性に関しての説明は特に無かったが、人間の立ち居振る舞いを見れば、大体、誰が成功するかがわかる、というのは面白い視点だと思った。

実は、ダボスの価値は、セッションでの学びよりも、セッション以外のインフォーマルな会話の中から生まれることが多いのである。この中身まで紹介し始めると、キリが無いので、次に進むことにする。

メイン会場を後にして、僕が登壇するセッションの会場であるホテル・ベルブドールに向かった。雪が降っている。「これでは、メイン会場以外でのイベントは、参加者は、減るであろう」と考えながら、一人トボトボと歩く。日本では、ちょうど夜の8時ごろである。こういう歩いている時間を使って、家に電話することにした。

長男は、中学受験を控えている。他4人の子供たちの様子も気になっていた。出張中に電話をするときは必ず一人一人と話をするのが、習慣になっていた。一度、直前の電話で話をしたから直後の電話では話す必要は無いであろうと思い、1人の子供と話さずに電話を切ったことがあった。そのあと、暫くして電話がかかってきて「(その息子が)泣いていたよ」と報告された。それ以外、必ず全員としっかりと話をするようにしている。すると、結果的に自宅への電話は、意外と長引くのである。ホテルに着き、セキュリティを通って、クロークにコートを預けるというルーチンを行い、会場に向かった。

14時30分から僕が登壇するセッションが始まった。「登壇」とは、言っても、ワークショップ形式なので、パネルで発言をするわけではない。数人ぐらいのテーブルのディスカッション・リーダーとして議論を引っ張り、最終的に何を話したかをシェアする形式であった。グロービス経営大学院で良くやっているグループ・ディスカッションと全体発表という形式と同じであった。

テーマは、「経済危機後のコーポレイト・ガバナンス」である。今回のダボスの統一テーマは、「Rethink, Redesign, Rebuild」である。つまり、世界経済危機後の、新たな「正常な状態」とは、何であろうか、ということを再考し、新たなシステムを再度デザインしなおし、再度構築しよう、という趣旨である。「ニュー・ノーマル」という表現に象徴されるように、もう前の状態には、戻らない。今回のダボスでは、次の新しい正常な状態とは何かを論じるのである。

僕の担当するテーブルには、スペイン人、メキシコ人、カナダ人、アメリカ人、そして日本人が着席した。合計6名なので、ディスカッションをするには、抜群のサイズであった。しかも、国籍そしてバック・グラウンドともに、とても多様性が豊かであった。

セッションは、最初に「コーポレイト・ガバナンスとは何か」、という漠然とした課題を投げかけ、全体でディスカッションをした後に、テーブルごとに分かれて、議論をする形式になっていた。

テーマは、「価値観」、「ボードの組成」、「報酬制度」、「継承」、そして「子会社のガバナンス」という5つに分かれていた。グループごとに1つのテーマがアサインされる。僕らのグループのテーマは、「ボードの組成」である。どのような人数で、どういうメンバーで、何を考慮しながら組成するのがベストかを論じるのである。

時間は、40分ほどであった。自己紹介の後に、自らの会社の事例を出してもらい、その問題点・改善点を討議することにした。日本の会社は、ほぼ社内が大勢を占めていて、社外からは弁護士と企業経営経験者が2名というものである。米国の会社は、13名で、社内はCEOのみであとは全部社外である。社外も、顧客代表、株主代表、取引先代表、政府経験者の代表などと明確に分かれていた。一方、メキシコの会社は、石油関係の会社ということもあり、政府が100%の株主であり、労働組合から5名、政府(といっても現職の大臣)から5名、そして、外部からの政治的任命によって4名加わるという組成になっていた。

その問題点を語りあい、どういう組成が良いのかを討議するのである。僕らのグループに参加した米国の企業は、この経済危機にも関わらず比較的に軽傷ですんだようであって、参加者(欧州の代表)曰く、非常にうまくいっていると。

グループの討議時間が終わり、僕が、立ち上がって、討議した内容をまとめて発表する。各グループの発表が終わった後に、全体討議である。前に説明したように、ここでの積極的な発言(貢献)によって、周りからの評価が形づくられていくのである。発言しないのが、一番良くないのである。僕は、いつものように、タイミングを見計らって、2回か3回ほど自分なりの意見を発表した。

議論は、結果的には、アングロサクソン的な株主重視型から、もっと日本的なステーク・ホールダーを重視する型に移行する、という流れとなった。まさに、僕が以前からグロービスの理念の中に盛り込み、言い続けていたような姿に回帰していくのであろう。つまり、株主ばかりでなく、従業員、お客様、取引先、社会全般などの関係をバランスよく維持する、という方向に企業経営が転換していくのである。

そして、時間が来て、トータル1時間45分のワークショップが終了した。参加者一同に挨拶をして、そのホテルを後にした。メイン会場に戻るのか、そのまま来た方向に歩いてホテルに一端戻るのか迷ったのだが、時差ボケと早朝からの会議参加での疲労感もあったので、一旦、ホテルに戻ることにした。

一休みした後に、19時過ぎに、ジャパン・ナイトに向かった。僕が着いたころには、もう既に始まっていた。日本からの参加者に一通り挨拶をした後に、腹ごしらえをすることにした。欧州に着いてから、ほとんどまともなものを食べていないのである。おでんがあったのは、涙が出るほど嬉しかった(ちょっと大げさかな)。思わず「お代り」をして、日本酒をたしなみながら談笑をした。

日本からの参加者も錚々たる方々である。財界では、武田薬品工業の長谷川社長、東レの榊原社長、帝人の長島会長、野村ホールディングスの氏家会長、若手ではローソンの新浪社長である。次期経団連会長が内定している住友化学の米倉会長も、その場には、おられなかったがダボスには、来られていた。学界からは、慶応大学の清家塾長、一橋大学の竹内研究科長、竹中平蔵さんなどである。さらには、JICAの緒方貞子さん、アジア開発銀行の黒田東彦さん、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥さんなど幅広いジャンルのリーダーが結集していた。残念なのは、政治家である。一人もいないのである。国会の開催中とは、言っても、不在はとても寂しい。

韓国は、大統領を含む閣僚数名が参加している。インドからは、主要閣僚が2名参加。中国からは、次期国家主席となることが有望視されている李克強(Li Keqiang)氏が来ている。一方、日本は最も重要なダボスの前半に閣僚がゼロという状況である。ダボスのセッションには、主要閣僚しか登壇できない。そして、この場で世論が形成されていく。日本の不在のまま、どんどん世論が固まっていってしまうのである。

この状況に竹中さんが危機感を抱き、民主党に働きかけ、仙石内閣特命府大臣と、赤松農林水産大臣、直嶋経済産業大臣が来ることになった。ただ、到着するのは、ダボスが終わりかける4日目からである。僕もその日にダボスを発つ予定だし、他にもその日に帰国の途に就く人は比較的に多いのである。

このジャパン・ナイトは、ダボスでは毎回行っているが、主催者は常に変わり続けてきた。最初は、財界が資金を拠出して開催していたのだが、昨年は東大と慶応大学がサポートして、今年は、JETROが主催となっていた。民間も大学も、資金を出しにくい環境なのであろう。

22時30分から映画アバターの監督のジェームズ・キャメロンが登壇するナイトキャップであった。会場は、ダボスの街中にある映画館である。夜10時に、会場に着いたが、まだ入場できなかったので、田坂広志さん、藤沢久美さんとで、向かいのカフェでお茶をしながら、情報交換をすることにした。

さすがに、立ちっぱなしで疲れていたので、足を休めながらの楽しい語らいである。僕は、アバターには事前に登録できたのだが、超人気プログラムということもあり、お二人は登録できずで、ともにキャンセル待ちで並ぶのだという。

カフェを後にして、僕は映画館の中に入って行った。キャメロン監督と握手をして、スクリーンの一列目の特等席に座った。今回のダボスでは、スピーカーを、間近に感じられるように、可能な限り一番前に座ることにしていた。

映画館の中は、案の定ガラガラであった。雪がかなり強く降っていたので、夜遅くの外出を取りやめたのであろう。僕は、外で並んでいるお二人のところに行き、「中はガラガラだから絶対に入れますよ」とグーのサインを示しながら伝えてきた。長い髪いっぱいにスカーフを巻きつけて震えていた藤沢久美さんの顔が、安堵の笑顔に変わったのを確認できた。それは、徒労に終わるかもと思いながら待つのと、絶対に入れるとわかって待つのでは、大きな違いである。

キャンセル待ちをした人は、結局全員入場が許されて、ナイトキャップが始まった。冒頭の挨拶は、フォックスのCEOが行った。「アバターは、タイタニックの興業記録を12年ぶりに抜いた。映画関係者の誰もが、抜けないと思っていたが、それを実現したのは、(タイタニックを監督した)ジム・キャメロン自身であった」という紹介とともに、キャメロン監督が登場した。長い白髪を揺らしながら、僕の目の前に立ち、話を始めた。キャメロン監督の発言の中で、印象に残っている言葉を以下の通り、列挙する。

―アバターの完成には、4年半の歳月をかけた。そのうち、2年間は一切撮影をしないで、テクノロジーの開発・調整に時間を費やした。
―重要なのは冒険するメンタリティである。Only limit is Imagination.この言葉には、共感した。逆に言えば、想像し続ければ、限界は来ないのである。
―「アバターの成功は、3Dにある」と言う人がいるが、それだけでは説明できない。そのストーリーの底流に流れる精神性、コミュニティ的思考、自然環境への配慮、愛などさまさま要素が絡まったからこそ成功したのである。
―これを実現するには、厳格な規律(Discipline)とアートとテクノロジーとの融合があった。

スピーチの後、気に入ったスクリプトということで、3つを出してくれた。皆、3D用のメガネをつけて堪能した。

最初のスクリプトが、主人公が惑星パンドラに着き、試験管に浮かぶ自らのアバターに初めて遭遇するシーンである。

次のシーンが、アバターとして3人が未開の地に入っていくときに、未知の動物に追いかけられて最後に滝つぼに飛び降りるシーンである。

そして、最後が初めて主人公がイコンという鳥に乗り、仲間とともに飛ぶシーンである。

どうやってこれらのシーンを撮ったかを説明してくれた。全てコンピューターグラフィックを駆使して創っているのだが、人間的な動き映し出すために、その場面に似た環境をつくり、モーション・キャプチャーしたという。まさに、Only limit is imaginationである。

その後、3Dの可能性を説明してくれて、バスケットボールのシーンとかカーレースのシーンなどを撮影したスクリプトを紹介して、質疑応答セッションに入った。

「3Dは、数十年前からあるテクノロジーであるが、なぜそれを使って成功できたのか」という質問に対しては、

―今までは、どうしても3Dを見せたいがために創られた映像が多かった。つまり、3D技術がメインである。アバターでは、ストーリーがメインで、3Dはあくまでもストーリーを補完するものでしかない、と割り切っている。
―当然、以前に比べて飛躍的に技術が進化した。特にプロジェクターの進化が大きく、高い技術を駆使した、高精細の映像を多くの劇場で映し出せるようになった。無論、カメラ自身の進化に負うところも大きい。
―そして、最後に、強い意志である。ものごとの変化を起こすには、偉大なる意思が必要となるのだ(Great will for transformation)。

印象に残ったのは、アートと科学との融合、直感と分析との融合である。キャメロン監督の凄さは、その強い好奇心、テクノロジーへの理解の深さ、そして妥協しない精神であろう。これからの映画監督の必要能力には、テクノロジーへの理解の深さ、といものも要求されることになる気がしていた。

セッションが終わってすぐに、どうしても聞きたい質問があったので、監督のところに駆け寄って聞いてみた。それは、「アバターのストーリーは、日本のアニメに似ている部分が多い。たとえば、もののけ姫や、ガンダムである。そのインスピレーションはそれらから受けているのか」、というものであった。

彼の答えは、次の通りであった。「これらのコンセプトは、30〜40年も前からあるものばかりで、マンガから学んだものではない。基本的には、相互に学び合うものである」と。僕は、彼の表情が一瞬変ったのを見逃さなかった。おそらく同じ質問を受けることが多いのであろう。僕個人としては、「もちろんインスパイアー(影響)されているよ」と一言、言って欲しかった。それを言っても、キャメロン監督の凄さや偉さが、低下することはありえないのだから。むしろ、高まっていくであろう。

僕は、映画館を後にして、インドのウィプロ社が主催するミュージック・ナイトに向かった。そこは、いわゆる踊りができる「クラブ(昔風に言えばディスコ)」であった。大きなスクリーンにインド人の歌手が映し出され、バリウッド・ミュージックが流れる中で、インド人の男女がダンスフロアで踊っていた。欧米的なクラブに慣れていた僕からすると、とても新鮮ではあったが、一方ではこれからは、インドの経済力の向上とともに、こういう光景を見ることが多くなるのであろうとも思えていた。

僕は、かなり疲れたので、フロアを回って、知り合いの方々に挨拶をして、クラブを後にした。そして、帽子、スカーフ、手袋をしっかりとつけて、急な坂道を登り、ホテルに戻ることにした。

2010年1月30日
チューリッヒの空港にて執筆
堀義人

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