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2010年3月 9日 (火)

政治・社会 「格差社会?」〜二宮尊徳翁の精神から何を学ぶのか

「格差社会」という言葉を聞くと抵抗を感じる。努力の格差があるのだから、結果の格差があるのが当たり前だと思うからだ。機会の格差があるならば、それは是正されなければならないが、結果の格差は、あるのが当たり前だと思う。それを論じることに意味を感じない。むしろ頑張った人間がもっと大きな報酬を得てもいいのではないかと思う。

プロ野球の世界を見れば歴然としている。イチロー選手が年棒10億円以上をもらっても誰も文句は言わない。かたや、プロで年棒数百万円という選手もいる。さらにはプロにもなれない選手がいる。これを「格差社会」と呼んで、イチロー選手の年棒を下げさせようとするであろうか。あるいは、プロになれない選手に保護を出すであろうか。

基本的には、これらの年棒は、市場価値によって決まっていく。もしもイチロー選手の年棒を下げようとすれば、他の球団に移籍するであろう。一方、プロ野球球団がプロになれない人に保証・援助を出すなどは、考えられない。

これが、機会平等の格差なのである。皆にチャンスが与えられる。イチロー選手は、その地位を得るために多大な努力を幼少の頃からしてきた。だからこそ、今の栄光がある。ただ、怠けるとすぐに落ちていくので、今も努力をし続けているのである。

機会の平等は、僕は、基本的には、日本においてはかなり担保されている、と思っている。義務教育が行われており、奨学金が支給されているので、随分と平準化されていると思うからだ。もしも、義務教育のレベルで、公立小学校から国立大学まで行けないのであれば、それは公教育か奨学金制度に問題があるのであろう。ただ、これも高校授業料の無償化と子供手当てでかなりの面で解決するのであろう。

先のオピニオン:「個人の自立心が日本を強くする」にSaitoさんという方が次のコメントの記載をしてくれた。

「格差といっても今の日本で、餓死する人はまずいませんし、最低限のセーフティネットは必要だと思います。若者には学ぶ機会の提供も必要だと思います。しかし過剰な保護は、自立の妨げとなります。

格差を問題視する心理の根底には、人を羨む精神と、努力もしていないのにもっと分け与えられて然るべきという甘えの精神があるように感じます。

足るを知る精神。今の日本での生活がいかに恵まれているか、日本人はもっと自覚した方がいいと思います。そして、このままの状態は長く続かないことも知っておいた方がいいと思います。まず、今の恵まれた状態に感謝し、これからの日本の未来に向けて一人ひとりが自分をどう活かすのか。そのことに注力すべきではないでしょうか」。

とても、興味深い意見だと思う。 最近、抵抗を感じるのは、「弱者救済」的議論が多過ぎることだ。「弱者救済」はマスコミ受けがいいし、票にもなりやすい。「優しい人」と見られやすいし、正論なので皆語りたがる。でも、その結果、財源が多く使われて、過保護になってしまうのであれば、問題だと思う。もっと本質的な、「日本の弱体化」に真正面から向き合うことの方が肝要だと思うからだ。

断っておくが、僕は、弱者救済や福祉には反対ではない。必要なものはどんどんやるべきだと思う。ただし、最近は、余りにもやり過ぎだと思っている。生活保護世帯も120万もあるし、増え続けている。財政が破綻している中では、過保護政策よりも自立支援が目的であるべきだと思う。

かつて二宮尊徳は、次のように言った。

「金銭を下付したり、税を免除する方法では、この困窮を救えないでしょう。まことに救済する秘訣は、彼らに与える金銭的援助をことごとく断ち切る事です。かような援助は、貧欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こすもとです。荒地は荒地自身のもつ資力によって開発されなければならず、貧困は自力で立ち直らせなくてはなりません」(『代表的日本人』より)

内村鑑三の著した、この『代表的日本人』を読むと、背筋が伸びる気持ちとなる。二宮尊徳は両親を亡くし、兄弟と離れ離れになり、意地悪な伯父にお世話になった。尊徳が本を夜読む際に灯りを灯す油を使っていると、「勿体無い」と伯父に言われてしまった。そこで、自らが荒地を耕し、菜種を植えて一年かけて油を刈り取った。すると「おまえの時間も俺のものだから、油は俺のものだ」、と言われた。結局、尊徳は畑仕事の往復で本を読むこととなった。これが二宮金次郎(尊徳)の薪を背負いながら本を読んでいる銅像の由来だ。その苦労があったからこそ、尊徳はその後大成したのだ。

先の二宮尊徳の言葉は、自ら貧困から立ち直ったからこそ含蓄があるのだ。事実、彼は、金銭的援助を断ち切って、数多くの貧困を克服させた。結果、多くの人に感謝されている。僕は、二宮尊徳翁が指摘するほどの施策は、今の日本ですべきだとは思わない。時代も違うし、環境も違うからだ。ただ、「かような援助は、貧欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こすもとです」、という精神から何かを学ぶ必要はあると思っている。

昨年の8月に、水戸の年配の方から、生活保護に関して次のとおり伺った。

「不動産を経営している友人から、生活保護を受け取る若者の話をよく聞く。役所から指導を受けるのか、生活保護を受ける権利を得るために、両親と同居しているところをわざわざ別居するのだと言う。さらに、結婚している夫婦の場合には、貯金を持っていると生活保護を受けられないから、わざわざ旅行をして貯金を使い果たしてから、受けるのだと言う。不動産を経営している立場からは、生活保護を受けている方が、貸借するにあたって収入が確実に入ってくるから安心だ、と言う。何かが間違っているという気がしてならない」、と。

金銭的な援助は、自立する精神を奪い去ってしまうのだ。子供に、愛情を持って試練を与えるように、政治家も愛情を持って、このような輩からは支援を断ち切る必要がある。当然、権利を奪われるものは不平不満を言い、死に物狂いで抵抗するであろう。でも、それをやらないと、みんなが、「もっと支援してくれ。どうして僕らにはくれないのだ」と要求合戦をすることになるであろう。そして、過保護政策は、そうした若者の自立精神をも妨げてしまうであろう。

弱者を救済し、強者に厳しく当たれば、皆が弱者となるべく競争するであろう。すると、「貧欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こすもと」になるであろう。これでは、日本の再生はおぼつかないのである。

繰り返しになるが、「格差社会」と言うが、努力の違いがあるのだから、その結果として格差があるのは当然なのである。結果の格差よりも、努力の格差に目を向けるべきではないか。

努力をしていない弱者に、手を差し伸べる必要は無いと思う。また、努力をしない人々を優遇するような施策は、貧欲と怠け癖を引き起こし、日本を滅ぼす結果となろう。二宮尊徳のお言葉の意味を再度見直す時期に来ていると思う。

2010年3月8日
堀義人Twitter@YoshitoHori



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コメント(33)

  • 努力しないでも金が入ってくるという状態は、ちょっと気持ち悪いですね。しかしながら、それがあたりまえになってしまったひとが日本には相当いるのではないでしょうか。朝からパチンコ屋の前に並んでいる若者たちを見ると、気持ちが暗くなります。苦しい状態にいることが現実としても、そこから如何に這い上がるか懸命に努力することで人は成長するのだと思う。人間としての力がつく。そういう努力をする人がたくさんいる国に日本はなってほしい。湯浅さんなどにはその為の手助けとして有効な手段を真剣に考えていただけないかと思っています。

    投稿者: kurasaki nobuo

  • twitterでは、部分的にしか堀さんの考えに触れることができませんでしたが、全体を通して見ると、身が引き締まりました。有難うございます。
    --------------------
    努力をしていない弱者に、手を差し伸べる必要は無いと思う。また、努力をしない人々を優遇するような施策は、貧欲と怠け癖を引き起こし、日本を滅ぼす結果となろう。二宮尊徳のお言葉の意味を再度見直す時期に来ていると思う。
    --------------------
    私は、つまりこの部分に関しまして、直接弱者に給付することの援助を断ち切るほうもそうですが、中途半端に雇用の場を提供している企業側も、それを断ち切る必要があるのではないかと感じています。それに対して、企業が弱体化するという主張は、二宮尊徳の考え方から外れていると感じます。
    私は、働く目的が分からない人、働きたくない人、遊びたい人など、個人の自由度を欲しがる人達と、効率の良い労働を調達したい企業側の、ビジネスが成立している事が、日本のゆとり・怠け風土を形成している、大きな要因だと考えています。
    しかし、育児をしている人達が生活するための資金調達や、学校に通うための人達の資金調達は、そのような雇用を本当に有り難いと思うはずです。本当に資金が欲しい人に正しく援助すべきで、実は援助の要らない人たちへの支援を、企業が提供していることに気づいてほしいと思います。個人と企業がお互いに、馴れ合いを「断ち切る」覚悟を持つべき時代が来たかなと、堀さんのブログを見て感じました。
    機会は、前の世代が作った社会が、次の世代の社会に影響を及ぼします。
    ですので、子供よりも先に大人達が、今まで背を向けてきた事にチャレンジして勉強する時代になったのだと感じます。
    私も、もっともっと本気で勉学に励みたいと存じます。
    有難うございました。m(_ _)m

    投稿者: Mr.K

  • はじめまして。記事を拝見させていただきました。
    私も二宮尊徳に関する書籍の感想をブログで書きましたが、この記事を見てしまうと自分の文章がいかに稚拙だか思い知らされました。

    私も生活保護をやたらめったにばらまくことには疑問を持っていました。
    十分な収入をもっているのに生活保護を申請することはやはりおかしいかなと思います。

    生活保護を実施する国に関しても
    「生活できなくて困った人がいたならば、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」
    という考え方が浸透していないのでは・・・と考えました。
    今の国会議員が一般庶民とかけ離れた生活をしているので本当に日本の国民は救われるのかと懸念しています。

    長文失礼しました。

    投稿者: wikitaro

  • 「努力の結果が格差を生む」に異論を唱える人は少ないと思います。今、問題を難しくしているのは、努力の質なのではないでしょうか。頑張っているのに報われない、と訴える人の実態を知ると、果たしてこれで本当に頑張っているのか、と疑問を持つことがあります。しかし、本人は、「必死で頑張った」と言います。「努力」とは客観的な物差しで測れないものだから、厄介です。
    以前、私の友人が個人再生法の申請を受け、借金を減額してもらいました。彼は、リストラに遭ったわけでもなく、病気になったわけでもありません。趣味のトライアスロンやワインにお金を使い超楽観主義の末カードローンの返済に窮し、自宅マンションを残したいがための決断でした。こういう人を救うためにこの法律があるわけではないのです、が、現実は、こういう人達を締め出すことは不可能なのです。今の「生活保護法」も、本当に必要な人達と同時に怠け者にも利用されてしまうのです。国は、もう少しお金を大事に使うよう、知恵を労力を惜しまないでほしい思います。
    低所得者の割合が多くなればなるほど、弱者救済を唱える政治家が増え、日本の財政は破たんしてしまうのではないかと、不安でなりません。

    投稿者: 長谷川

  • 勇気を出して初めてコメントを書きます。私も以前から、努力をしていない弱者に、手を差し伸べる必要は無い、努力を怠る人間が正当化されるようになれば、日本の将来の為にならないと常々思っています。だから私は努力は怠りませんし、機会の平等は、与えられるべきだけれど、結果の平等は、それこそ努力した者に対して不公平だと思っています。

    しかしながら、私は現在英国に留学中ですが、この国の労働者階級と、資産階級がくっきりと別れている社会構造が、若者のやる気を一層無くしていると思えて仕方がありません。労働者階級がなぜ努力しないか、それは、頑張ってもどうせ報われないから最初から努力などしないのです。彼らは彼らで、高校卒業まで完全フリーのステイトスクールに通い、(資産家はプライベートスクールへ行く)自分たちのソーシャルクラスに合った友人と遊び、自分たちの楽しみを見つけ(フットボール観戦やパブ通いなど)自分と同じ労働者階級の結婚相手を見つけ、家族を持ちます。もちろん例外も多々ありますが、特に男性は産まれてから死ぬまで同じソーシャルクラスの友人としか交わりません。仮に彼らが努力したしても、親が裕福で、プライベートスクールに通うことが出来、そこで知り合った同じ裕福の子息たちとネットワークを作り、オックスフォードやケンブリッジ大学に進み、成功して更に成功者だけのネットワークを広げていく彼らに太刀打ちできようとは思わないためです。金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏はどんどん貧乏になっていく、という構造です。

    まず日本と英国は歴史からして異なるので、今の段階で比較するのは筋違いであり、日本においての格差は英国に比べれば今後20年、30年はまだ微々たるもので、想像しにくいかもしれませんが、それが世代を超えて広がるにつれ、いずれ英国のようになりはしないかと正直考えてしまいます。私の基本的な考えは、努力した者のみに報酬が与えられるべきだと変わっていないものの、この国の暗い事情を目の当たりにすると、弱者に対しての政策についての自分なりの答えが見つりません。このサイトを見ている優秀な方々のように、残念ながら皆そう強くないのだと、知りました。長くなり申し訳ありません。何か意見をいただけると大変光栄です。

    投稿者: nunu

  • はじめまして。

    いつもブログを拝見させていただいております。

    格差社会に対する提言、
    まったく同感です。

    私も、最近の社会的弱者に「やさしい」政権の動きは、一見慈善的にみえて、長い目では社会を堕落させてしまうと危惧しております。

    二宮尊徳翁としても、
    現代社会を見られて、
    自助努力の尊さを軽んじる風潮を嘆かれると思われます。

    「やさしさ」の裏にある、
    社会主義的な風潮、
    努力による差を認めない不公平な社会、
    努力せずとも国家が面倒をみてくれるだろうという安易な依存心を生み出す社会。
    (年金の議論も、そもそもすべての人の老後を国家が面倒みますという共産主義の理想を議論しているようにしか、私には見えません。)

    日本社会の嫉妬心の強さは、
    いかに社会主義が根付いているかの証拠でもあるとも感じます。

    今一度、
    セルフ・ヘルプの精神を呼び起こすこと、
    そのための社会環境(制度、税など)を整えていくことが
    非常に重要なのではないでしょうか。

    投稿者: Makoto

  • はじめてコメントさせていただきます。怖れながら、生活保護は、日本国憲法に規定される生存権に基づいて、最低生活を保障するための制度です。何らかの理由により、努力しても生活していくのが難しい人を支給対象としているわけです。生活保護の不正受給の問題と同時に論じることがそもそもおかしいのではないでしょうか。
    生活保護受給世帯の約4割が高齢者世帯、精神障害や知的障害をもたれた方、病気のために働くのが難しい方、仕事で十分な収入を得にくい母子家庭などで約8割と言われています。蓄えのない高齢者と、障害や病気で働けない人は、努力不足なのでしょうか?自立支援を、というご意見には賛成ですが、現状をご覧になって、また具体策を提示された上で意見されないと、誤解されると思います。
    教育の機会は平等 ということですが、現在虐待を受けている子供は、通報されているだけで年間4万人です。虐待で心理的、精神的ハンディキャップを負った子供と、教育熱心なご両親にめぐまれ、愛情をたっぷり受けたご子息が、平等でしょうか? 
    真のリーダーは、海外にも国内問題にも造詣が深いのではありませんか?ご子息を真のリーダーにお育てになりたいのでしたら、プールだけでなく、児童養護施設のボランティアにでも行かれてはいかがでしょう。

    投稿者: 小林紀子

  • 二宮尊徳の教えを元に江戸〜大正期に農村再生を行った自助組織「報徳社」の本部が地元にあります。尊徳翁の考え方については知らず知らず見聞きしている環境にいます。
    堀さんはまず理想を掲げ、次に現状とのギャップを認識し、それを埋めていくというプロセスをお考えなのだと思います。その前提に立てばまさに正論。

    政府ができることは限られています。政府は万能なのではなく、我々の代理人に過ぎないのであるから、その効力は外交・軍事・警察・金融経済システムの維持等に限定されるでしょう。市民どうしが助け合い、声を掛け合うことで必ずしも国に頼らずともクリアできることがあるはず。阪神大震災の時の連帯を見ると、まだまだそういう意識を持つ市民がいると思います。尊徳翁は農村復興の手法として「無尽」のしくみを導入していますが、それはお上に頼らずともなんとかなるという意思の表れのような気がしています。

    投稿者: dunkel0227

  • ごもっともではありますが、日本の場合はすでにイスについている者の既得権はしっかり守られ、それが若者たちの参入障壁になっているわけですから、機会の平等をうたうなら、そのあたりの市場ルールをきっちりと定めるべきです。

    投稿者: SW

  •  堀さんのことを深く尊敬申し上げている者です。しかしながら上の小林さんのご指摘、堀さんと言えどもぜひ謙虚に受け止めて欲しいご意見と思い、堀ファンとしてコメントしています。

     堀さんの国家全体を憂えるお気持ちと勇気、日々のご努力には一庶民として本当に頭が下がり、常々感謝の思いで応援申し上げておりました。しかしながら堀さんも当然ご承知のこととは思いますが、堀さんまたはご子息とはあまりにも家庭環境・スタートラインが違う子どもたちが、この豊かな日本にも本当にたくさんおります。もちろん腹立たしい気分にさせられる甘えた人達も多いですが、彼らと本当の弱者は一目では見分けがつかないのもまた事実です(ものすごく虐待を受けながら、本人は暴力を振るうでもなく一生懸命働き、パチンコ程度の憂さ晴らし?しかしない健気な子達もたくさんいます)。

     堀さんは決して本当の弱者を批判している訳でもなんでもなく、弱者に便乗する不正受給者や人間の甘えた部分を戒めるためにこの発言をわざわざして下さっているのだということは、このブログを読む者ならば皆当然解っております。しかし堀さんがその最弱者層のご出身でもなければそのような人々との接触機会が比較的少ない方でいらっしゃることはその上品なお顔を見れば明らかですから(庶民にはできない大事な仕事をしてくださっているのですから当たり前です)、今後不本意な誤解を招かないためにも、このような趣旨の発言をされる際にはくれぐれも堀さんの優れた頭脳を通常以上にフル回転させて頂き、誰が読んでも誤解のしようのない丁寧な発言を心がけてもらえれば、堀さんというせっかくの優れたリーダーを応援している者として安心です。

     小林さんのご指摘、勇気にまた感謝します。まさに、発言力の大きい真のリーダーであればこそ、プールに通う回数の10回でも、近所の児童擁護施設に勇気を出して飛び込まれるというタイプの努力・勇気をもたれてはいかがでしょうか(堀さんにばかり理想を押し付けるようですみません・・・リーダーの宿命と諦めて下さい)。イチロー選手同様、上り詰めた後の努力、堀さんの場合であればいかに知的に誠実・正直であり続けるためのご努力という点にこそ、皆は祈るような思いで注目し、目標としているのではないかとも思っています。

     引き続き、それぞれがぞれぞれの持ち場にてベストを尽くすこととしましょう!広い世界のリーダー様、本当にお疲れ様です。このようなことを申し上げた以上、私も私のささやかな持ち場で歯を食いしばって頑張らなければなりませんね。

     狭い世界の小部隊長より尊敬をこめて

    投稿者: 地方の教育関係者

  • 地方の教育関係者様

    大変心のこもったありがたいご指摘ありがとうございます。小林紀子様には、以下のとおり、実は既に返信しておりました。

    小林様

    「児童養護施設のボランティアにでも行かれてはいかがでしょうか」のご指摘どおり、是非とも行きたいと思います。都内でどこかご推薦の場所などありますでしょうか。よろしくお願いします。

    堀義人

    実は、先の「起業家の風景」に連載した「インドへの精神修行の旅」 http://ow.ly/1g73Q に行った際に、こういう質問をスワミジ師匠にしました。

    堀:「世界のリーダーに何を望みますか?」
    スワミジ:「社会のために奉仕することです。皆、利己的なことしか考えていないじゃないか」
    堀:「そのためにはどうすればいいのでしょうか?」
    スワミジ:「月に一回奉仕する機会をつくることです」、と。

    これも一つの縁と思っていますので、喜んで児童擁護施設に行ってボランティアをしてこようと思います。せっかくならば、小林さんのご紹介があるとありがたいと思っています。

    もしも紹介頂けなくても、ありがたい機会を頂いたと思い月一回奉仕しようと思っています。

    貴重なアドバイスありがとうございます。

    堀義人

    投稿者: 堀義人

  • 努力が正当に報われる社会であるべきだ、と堀さんはおっしゃりますが、はたして古今東西そんな社会が実現したと思いますか?
    プロサッカーの世界だって、練習サボリ魔の闘莉王選手は日本人最高峰の年俸ですよ。
    イチローは努力家ですが、サボリ魔でもイチローと同等の結果を出せば同じ年俸が貰えるのがプロの世界なのでは?...
    実社会だって、給料の良さそうな会社ほど美人が揃ってるじゃないですか。
    市場原理では努力などは評価の対象にはならないでしょう。
    勝手に湧き出た温泉、100mの掘削をしまくった末の温泉、後者が価値あるという訳じゃないですか。
    努力が正当に評価される社会なんて、神の国だけですよ。
    もっと目を見開いて現実を見てください。

    投稿者: 大塚隆二郎

  • 努力について誤解があるのではないでしょうか。
    本人が努力している、俺は頑張っていると自分で思っている間は、
    実は本当の努力ではないと思います。
    何を見つめて、日々自分の力を出し切っていくか、その積み重ね
    なのだと思います。見ている先が目先のこと、利己的なことでは、
    自分は努力していると思っていても、報われない、長期的な良い
    結果には結びつかないと思います。

    努力とは、人に評価されるためではなく、自分の成長の為、
    引いては大きな志の達成のために積み重ねられた行いのことだ
    と私は考えています。人の評価は結果であって目的ではない。

    渋沢翁はその著書『論語と算盤』の中で
    「成敗は身に残る糟粕のようなもの。それは至誠をつくした
    結果であって、それ自体を目的とするものではない。」と
    述べています。努力の塊のような方ですが、本人にそのような
    考えは全く無く、豊かな日本の未来を見つめて、自分の力を
    出し切っていかれた結果、あのような業績を残されたのだと
    思います。程度に差はあると思いますが、その心意気には
    学ぶものがあるのではないでしょうか。

    投稿者: Saito

  • 堀様

    一介の主婦の大それた発言を取り上げていただき、恐縮しております。
    ますますのご活躍とご発展を祈念しております。

    投稿者: 小林紀子

  • ・真面目に努力する人がそれなりに報われる社会でなければ、誰も努力などしなくなる。ごく一部のストイックな人を除けば、やはり努力には報いがなくてはならない。

    ・ある集団において、真面目に努力した結果が報われるかどうかは、リーダーシップにかかっている。間違った方向でどんなに努力しても、結果はむなしい。結果が出なければ人心は離反する。

    ・日本において長年社会において美徳であった勤勉が溶解しつつあるのは、過去20年ほどの様々なむなしい現象を人々が見つつ、努力することがアホらしくなってしまった層が多数でてきたからかと思われます。旧エスタブリッシュメントが三行半を突きつけられている状況と言えるでしょう。

    ・生活保護については線引きが難しいところですが、いずれにせよ今の日本は生活保護を支給するための原資が枯渇しつつある状況にありますので、やはり正しいリーダーシップのもとに皆がしっかりと学び、稼ぎ、雇用を増やし、税金を納め、というサイクルが働くようになることが必要です。

    グロービスのリーダーシップ教育に大いにエールを送りたいと思います。

    投稿者: あぱかばーる

  • 堀様

    思想や人生観など非常に共感でき、いつも興味深くブログを拝見させて頂いております。
    今回思うところがあり、自身の考えをコメントさせて頂きます。

    ################################
    成果を得るには努力が必要だ。結果(報酬)を得るには成果が必要だ。

    例えば。
    受験勉強では、勉強(努力)によって学力を上げ合格(成果)を勝ち取り、望んだ学園生活(結果)を得ることができる。
    経営者は、経営努力(努力)によって売上を向上(成果)させ、報酬を得ることができる。
    つまり、結果は努力からではなく、成果を元に得られる。

    努力は客観的な数値として提示できない事が多く、努力を多くすれば必ずしも成果が出せるとは限らない。また、結果(報酬)は基本的には成果を元に得られるものだが、必ずしも成果と結果は比例しているわけではない。

    結果を得るために必要な成果は、需要と供給に基づき決定される。同じ結果を得ようとしても、手段により求められる成果が変わってくる。同じ能力を持った人間が同じだけ努力したとしても、手段が違えば得られる結果も変わってくる。

    例えば。
    コンサルタントとして100万円の結果(報酬)が欲しければ、1回の業務改善コンサルティングを成功させること(成果)が必要となる。費やす時間(努力)は100時間程かもしれない。
    コンビニのアルバイトとして100万円の結果(報酬)が欲しければ、時給1000円で計算すれば1000時間の業務時間(成果)が必要となる。費やす時間(努力)は当然1000時間だ。
    つまり、結果を求めるのであれば、努力以前に成果の方向性を考えなければならない。

    天性の能力によって、もしくは運により努力せず結果(報酬)を得られる人もいる。努力は成果によってのみ得られるものだから、成果を出せていれば問題がない。しかしながら、努力無しに成果を出し続けられる人間は少ない。だからこそ、一般的に「努力をすれば結果が得られる」という言葉が用いられることになる。真実は、「結果を出したければ成果をだせ。成果は努力により得られる」なのだけれど。

    努力が正当に報われる社会など存在しない。なぜなら、努力は主観的なものでしかないからだ。しかし、成果が正当に報われる社会は現実に存在する。それが自由競争原理であり、世の中のスタンダードな流れだ。

    結果を出すために成果を出し、成果を出すために努力をしなければならない。

    投稿者: 野間丈弘

  • ブログ、興味深く拝見しております。
    生活保護を受ける若者のひとりとしてコメントしたいと思います。

    おっしゃる通り、努力をしない弱者を過保護にする必要がないというのは当然だと思います。一方で、努力をしたからと言って100%報われるわけではないということも事実かと思います。

    大切なのは、機会の不平等を是正すると同時に、努力しようとするモチベーションを高めることではないでしょうか。

    「どうせ努力しても、今の日本では何も報われないよ」と悲観的な態度をとって、努力を怠っている(もしくは最低限の努力しかしない)弱者を、「結果の格差はしょうがない」といって切って捨ててしまうのはいかがなものでしょうか。

    機会の不平等の是正の範疇に含まれるのかもしれませんが、努力をしない人たちのモチベーションや能力を高める政策はあってもいいと思います。

    失礼しました。

    投稿者: naotoknk

  • naotoknkさん
    気持ちはわかる。
    ライブドアショック以降最近の起業率の少なさはあなたの様な気持ちが反映されているのだと思う。
    でも、敗戦後の日本はもっと悲観的だったかもしれない。
    天安門事件後の中国はもっともっと悲観的だったかもしれない。
    ”幕末や高度成長期に生まれていれば”
    と思うかもしれないが、幕末や高度成長期に生まれても埋没してしまった人はたくさんいる。

    結局個人の気持ち次第じゃないかな?

    投稿者: 就職氷河期経験者

  •  上のnaotoknkさんのご意見、まさにこの議論の本質を突かれたのかもしれません。

     結局のところ、スタートラインの格差というものは、親の「経済力格差」なのではなく、親を最大要因とする成長環境の「モチベーション格差」なのではないかと思われます。

     豊かな親でも子の人間的成長モチベーションを奪うだけの親もいましょうし、金銭的には豊かでなくとも素晴らしい次世代を育てている立派な方々は、まさに日本・世界の津々浦々にいらっしゃいますね。

     

    投稿者: 賛成

  • 努力をする(できる)人もしない(できない)人も、みんなまとめて幸せにする方法を追求しなければ、同じ地球に暮らさないと行けない以上「切り捨てる」なんて物理的に不可能ですもんね。

    たとえ自分がいくら努力しても、路上でイライラしている人の一撃をくらえばおしまいなのですから。可愛い娘だっていつの日か、危険な人物のたくさんいる電車なんかに乗せなきゃいけないわけですから。

    まずは自分が努力をし、自衛をし、かつ他人にも幸せになってもらう方法を考える。それが結局自分や子どもたちの自衛・幸せにつながってくる、こういうことですかね。

    あきらめずにがんばるしかない!

    投稿者: 何より

  • はじめまして。twitterにてRTさせていただきました。
    私も同じ考えです。とはいえ、相手の立場になって考える事の重要性もある気がしてます。

    努力をして成果を出すのは自らであり、それを評価するのは周りの人達だと思います。いくら頑張ったつもりでも結果がなく評価されないことが、周りに責任転換する言動につながると思います。自分はそうなりたくないですが理解しようとする努力は必要でしょうか?

    投稿者: TomoyasuK

  • 何度も申し訳ありません

    >悲観的な態度をとって、努力を怠っている(もしくは最低限>の努力しかしない)弱者を、「結果の格差はしょうがない」>といって切って捨ててしまうのはいかがなものでしょうか
    について

    普通の人間は、努力をしても無駄だと”学習”してしまうと、努力しなく(できなく)なってしまいます。これは、”無力の学習”といって、うつ病の認知療法で有名なアメリカの心理学者が提唱している説です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%80%A7%E7%84%A1%E5%8A%9B%E6%84%9F

    何があってもめげずに努力を続けられるのは、それこそイチローや、「龍馬伝」の岩崎弥太郎のような一部の人だけで、普通は希望や見通しがないと努力できないでしょう。企業なら努力をあきらめた人をダメ社員として切り捨てればすみますが、社会では、そういうわけにはいきません。社会全体の生産性が下がりますし、社会の不安定要因になる場合もありますし、生活保護が必要になって、財政を圧迫することもあり得るからです。

    また近年軽度発達障害という、知的な障害はなくても学習や、コミュニケーションに何らかの困難を抱える障害が注目されています。底辺校の落ちこぼれの生徒や、高校でついていけなくなる子どもたちには、実は特別な教育的支援が必要なのに放置された学習障害の子が多いのではないかと考えられています。そのような子どもたちは、いくら努力しても学校では報われないため、小学校のうちに、努力しても無駄だと学習してしまうわけです。はっきりとしたデータなどはありませんが、企業が生産拠点を海外に移した結果、このような努力ではなかなか補えないグレーゾーンの軽度の障害を抱えている若者たちが、なかなか定職につけなくなっているのではないかと思われます。 
    努力するのにも生きるのにも希望が必要です。より多くの人が希望が持てて努力する気になれるような社会の仕組み作りをしなければ、人の2-3倍努力しろ というような精神論を振りかざしても意味がないと思います。小学生の息子でさえ、自分たちの時はいい時代はこないから今のうちに遊んでおくんだといっています。特に問題を抱えていない若者でも、携帯でつながって、マイミクを何百人も持っていないと不安で、KYと言われるのを恐れて匿名でないと意見できないのが今の日本社会ではないでしょうか。

    堀様が以前書かれていたように、企業は利益をあげて税金を払うだけで、社会に貢献していると思います。しかし、現在の不況が市場飽和による成長の限界と、世界のフラット化による中国やインドの急速な追い上げにあることを考えれば、高齢化問題を含む社会問題を放置すれば、いくら企業収益を伸ばしても、社会問題のコスト増加に追いつかないことは、自明の理だと思います。だから、社会問題のほうを解決しようという起業家が生まれているのではないでしょうか。

    社会起業家が若い世代をひきつけているのは、問題を書きたてるだけのマスコミと違って、解決策を提示し、行動しているからで、そこには一筋の希望があるからでしょう。今は企業CSRが常識となりつつあります。堀様も、このような若い社会起業家たちを支援していただけないでしょうか。

    投稿者: 小林紀子

  • こんばんは。トラックバックが届いていないかもしれないのでコメント差し上げます。Twitterと重複して申し訳ありません。

    形式的な意味での機会の平等については、仰る通りだと思います。アルバイトと奨学金で高校、大学と卒業した友人は、僕の周りにも沢山います。

    ただし、実質的な意味での機会の平等は、担保されていないと感じます。ここで「実質的」というのは、こどもの自立心や克己心など内面の問題を念頭においています。

    自立心や困難に打ち克つ力は、自己肯定感に依存すると云われています。その自己肯定感は、決して自分自身で得られるものではなく、親や周囲の大人から認められることを通じて得ていく場合がほとんどです。特に都市部のようにコミュニティがほとんど機能していない状況で、かつ、親がろくでもないと、こどもは自分がなぜ世の中にいるのか、確認できる機会をほとんど持つことができません。

    その最たる例が、児童養護施設にいる3万人の子どもたち。子どもたちが施設に入るまでの物語ひとつひとつを聞くと、身の毛のよだつ思いがします。親から大切にされることなく、コミュニティのたすけもなく育つ子どもたちは、自分の存在意義を見いだせない場合がほとんど。同じような問題は、日本のいわゆる底辺校でも起こっています。

    この子どもたちが、他の普通の家庭に育った子どもたちと同じスタートラインに立たされ、同じレースをさせられるとしても、日本では機会の平等がある程度担保されているといえるのでしょうか。生まれた境遇ゆえに人生に意義を見出せず中退していく高校生に、「努力をしていない弱者に、手をさしのべる必要はないと思う」というのは、妥当なことなのでしょうか。僕は否と思います。

    (トラックバックしたブログはこちらです。
    http://stjofonekorea.blog6.fc2.com/blog-entry-1402.html)

    投稿者: Taejun

  • では、どうやって今存在する機会の格差を是正しようかという問題があります。
    まず派遣社員や最近の新卒の若者が職にあぶれ続け、既にいる正社員が首にならないことは、結果の格差ではないのでは。雇用の流動化には、どんな仕組みが必要なのかと。企業ががんばってパイを大きくなればいいのだが、それだけでいいのか。
    また、なくしてしまうと本当に困っている人たちの命を落としてしまうだろう生活保護をどうやって無駄のないものにするかという問題もあります。これも今は無駄な部分が多くあるかもしれないけれど、相当部分で機会の格差を是正していると思います。

    投稿者: @akehan2003

  • 以前、児童擁護施設で子どもたちと遊んだり、ホームレスの人たちに毎週1回、軽食を配りながら話を聞いたりしていたことがあります。
    物的支援はもちろん必要です。
    しかし、生きるために必要なモチベーションをお互いに得られたのは、彼らに敬意を抱き、彼らから学ぶ姿勢になれたときでした。
    やはり何事も、基本は自分がどうあるかですね。
    とにかく、できることからやっていこうと思います。
    (堀さんのブログはコメント欄も含めて、とても興味深いですね。
    これからたびたび読ませていただきます)

    投稿者: ココア

  • 若者が見通しが立たずに、努力をあきらめているという話に共感します。
    しかしだからこそ、親や身近な大人が、どんなに辛い状況でも努力を重ねて、子供達に親の背中を見せなければいけないのではないでしょうか?
    今の若者は短気だと私は感じます。すぐに儲けたい。大きく儲けたい。すぐに夢をかなえたい。そして余裕を持って働きたい。短期的な理由は、経済的な価値観を軸に夢を作っているからではないでしょうか?
    「幸せとは、今手にしているもので十分だと感じることかもしれない」ブータンの首相の言葉ですが、経済的な夢を追う人は、その夢に違和感を感じてほしい。グロービスでは、夢ではなく志という言葉を使っています。
    さて、志をみなさん持っていますか?私はずっと考えていて、できたと思えば、偉大な人の講演を聞くと変わり、まだ試行錯誤状態です。
    志を作ることは、そんな簡単に作れるものではないのです。
    どういう夢が正しいのか?どうやって夢を実現するのか?を、今の大人達が見せるときだと感じます。少しでも勉強できる余裕があるならば、漫画やゲームをするのではなく、もっと勉強に時間を費やしたほうが良いです。
    かくいう私も、数年前は、帰宅後や休日の時間を、パソコンでオンラインゲームしたり、パチンコばかりしていました。ゲーム上で人やモンスターを殺したりして、ストレスを発散していました。しかし今は反省し、そこからようやく脱却でき、勉強に勤しんでいます。そして、若いころ遊びに夢中になっていたことを非常に悔やみます。できるなら時間を取り戻したい!
    いっぽうで、大きなマスで雇用と教育を考えれば、確かに問題は多いと感じます。そして政治や学校や企業に要求したい事も沢山あります。
    しかし、小さなマスで考えれば、一人一人の国民のなかに、小さなことを解決できる人も沢山いるのではないでしょうか?
    そして、皆さんも実は、私のように過去の自分に悔しさを感じていませんか?そしてその悔しさを他人のせいにしていませんか?
    少しでも勉強できる時間を持っている人達の皆さん、この後の人生を後悔しないためにも、その限られた時間で努力をしましょうよ。
    一緒にがんばりましょうよ!私達が、がんばっている姿を見て、励まされる人がいると思います!私も1人ではがんばれませんでしたが、周りにそういう人が現れたことを本当に感謝します。m(_ _)m

    投稿者: Mr.K

  • 簡単に考えるべきだと思います。
    新しい国家(集団)を創ればいい。
    人類の、地球の、未来を創造する、次の世代に繋ぐ、そういう高い志を持った人たちが集まり輪を広げ、それぞれの役割を全うしていく。徐々に広域化し、行政を超え、いつか国家を超える。その正の広がりが、負の広がりに追い付けなければお終いであり、森羅万象からすればただそれだけのことである。


    完全に自立した生命体は存在しない。皆がバランスをとり依存しあって生きている。生きるために必死な同志が無数にいるにも関わらず、保護だけで生きられるということは許されない。またそういう制度を断じて許してはいけない。何もしないで限りあるものを消費していく存在が増えれば崩壊は免れないのは自明だ。グローバル化とともに、崩壊の連鎖も世界規模である。

    製造業の工場経理→経営管理部隊と、完璧な管理システムがないことを日々学んでいる。それと同じように、完璧な社会なるものは、人間が完璧でない以上不可能であり、これは素直に受け入れればいいかと。

    不確定なバランスの上で常に人、企業、文化など様々なものが代替され新しい命へと繋がってきて今があり、これからがある。始まりあるものは全て終わりがあり、個もそう全体もそう。

    人として、企業として最後の最後どうするか、どうあるべきか考えておく必要がある。覚悟も常日頃必要だ。
    ”起業”もそうではないでしょうか。

    いつかくる”日本”(地球?)の終わりをどう迎えるのか。精一杯やってのことか、単純な自滅なのか。

    成熟した社会には成熟した社会からしか見えない奥の細道があり、しっかり前を見据え色々な想いを大切に、次の世代へ繋いでいく姿勢が求められる。これからの”日本”の存在意義はこれができるリーダーシップがあるかないかである。この”格”がある人と、ない人の差が本質的な格差と考えます。二宮金次郎にはこの”格”があった。不運によって結果晩成となっただけ。i-phoneがあれば、もっと若いうちにもっと多くのことをできたであろう。それをi-phoneを持っている人たちと持てない人たちと、格差社会と分けるのは本質ではない。

    投稿者: teru_a_key

  • 堀さん

    オピニオン、いつも楽しみに読ませて頂いております。

    何はともあれ、誤解・反論を恐れずに、とてもデリケートな話題に公的に言及する姿勢に惚れ惚れします。

    微力ながら応援しています。

    お体に気をつけて、これからも頑張って下さい。

    投稿者: 吉田秀樹

  • 努力したくない人に努力しろと説いても無駄でしょう。
    そんなことにエネルギーを割くよりも、働く意欲があるのに職につけない人、
    社会に出たいのに一歩が踏み出せない人にエネルギーを注いだほうが有意義ですよ。

    投稿者: 大塚隆二郎

  • 私は上場企業の管理職として働いています
    社としての教育もしっかりやっているつもりですが、少し厳しくすると簡単にやめてしまう者をみて、企業戦士として戦ってもらいたいのに、戦うことを放棄する理由を、きれいごとで言われると寂しくなります。いま日本の多くの企業は世界を相手に厳しい戦いをしています。

    投稿者: kk

  • 大逆転というエディーマーフィーの映画を見てみてください。

    努力ではなくて、その環境が人を作ることを如実に
    あらわしているのです。

    努力が成果につながる時代は、焼け野原でほとんどすべてが
    ゼロからスタートした場合です。

    コングロマリットができ、財閥ができ、その中で努力しようが
    しまいが、そこから弾かれている若者は救われないのです。

    携帯だって新規参入があるといいながら、その実もとはNTT
    であり第二電電でしょ、もう少し世の中勉強したほうが
    いいですね。

    投稿者: 某記者

  • 初めまして堀さん。
    今、イギリスの大学で留学している者ですが、恐縮ながら初めてのコメントさせて頂きます。

    私も機会均等の平等は重要で、結果の平等は重要ではないと考えます。
    では、なぜ日本では機会の平等だけでなく、結果の平等も重要視されるかを考えてみました。それは日本が全体主義の国だからだと思います。
    自分のリサーチによると全体主義の国は一般的に、equity(公平さ)よりもequal(平等さ)を重視する傾向にあります。この二つの言葉は日本語では同じように聞こえますが、全く違うものです。
    例えば、日本においては努力(input)が大きく違っても、そのoutputである結果についてもある程度の平等性を求めます。しかし、一方でアメリカなどの個人主義の国では、努力に差があった場合、努力に対しての判断基準が公平であれば、outputである結果については大きく差があろうともそれを受け入れる。
    つまり、日本人というのはそもそも、機会均等の平等が達成されていようとなかろうと結果に対する平等性というものをある程度求める特徴があると私は思います。
    そして、私はこの図式は、日本のいたる所に見られると思います。
    例えば、考え方や能力が違っても、最終的には一つの考え方(社会で主流になっている考え方)を求めるという、何というか思想や行動様式の単一化といいますか。
    この点は、日本人の自立心とも繋がってくると個人的には思ってます。
    日本の社会において、自分の意見や考え方がメインストリームと違かったとしても、その違った考え方を貫くよりも、その主流の考えたに迎合した方が、メリットの方が大きい(もしくはデメリットが少ない)ので、結果として他人の考え方に従い依存するようになるor他人がどう思ってるのか、どう考えてるかを基準に自分の考えや行動を決めるようになる(つまり、自立心がなくなる)。または、そもそも、初等教育を始め教育の現場では、平等である事、全体と一緒である事(考え方、行動様式を含め)が望ましいという教育がなされるので、何の疑いもなく自然とそのような考え方(他人に依存するor他人を基準にした自己の意思決定)が身につくと思います。
    つまり、色々な条件が違っても、最終的な結果なり答え・考え方・行動様式etcを皆と一緒にする事を求めるのが日本の社会であり、それ以外に対しての社会の寛容度は、他国と比べても低い気がします。

    すいません、話が少し脱線してしまいましたが、何が言いたいかと言いますと、私は堀さんのいう通り、日本においては機会の均等はある程度担保されていると思います。そして、他の方がコメントしておりました「若者に見通しが立たず努力をしない」という話は、機会の均等の問題というよりは、日本の社会が一つの価値観しか提供できず(例えば、良い高校、大学を卒業していい会社に入る事が全てetc)、そのメインストリームからはみ出た人に対する社会の寛容が低いことから起こっている事だと思います。
    長文、駄文失礼しました。

    投稿者: kei

  • 「弱者は死んでしまえばいい」なんて言うのは原始生物的発想。


    知的社会性情緒動物としては「みんなで生きていこうね」となるのが自然なんじゃないでしょうか。


    とするならば、生活保護制度はあってしかるべき。
    とするならば、その制度に「ズルして乗っかりラクしよう♪」って思うのが出てきてもしょうがない。


    だって「知的」なんだもの。。


    議論すべきは制度の「有無」では無く、「内容、オペレーション」なんですよねぇ。
    いかにして「ズル」を無くすか?と言う方法論。。


    それと。

    生活保護制度の議論って(収入を基準とした場合の)「底辺以下をどうカバーするのか?」と言う話しであって
    底辺を超えた=底辺より上の世界の「誰が多く受け取るべき?」と言う話しとは全く別の議論だと思います。


    「多く受け取った人の収入をどの様にして底辺以下に廻すか?」だったら・・・まだ繋がりますけど。
    でも堀さんの文章の中で言及されているのは「廻す」以前の「誰が受け取る?」と言う事みたいですから。。


    この2つの議論は分けた方がいいと思います。


    ちなみに


    「結果」を「努力」だけで語るのって
    自動車の最高時速を排気量だけで語るに等しいと思います。


    それだけじゃない・・・


    賢さ(方向性見極め)、運(縁とタイミング)、天賦(体力、親、容姿・・・)も複雑に絡んで来ると思います。


    特に「天賦」は大きい。
    奴隷制度があった頃よりは遥かに良くはなってますけど ^^;


    投稿者: pon-pon-sotsugyosei

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