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2010年6月 7日 (月)

政治・社会 国際社会と日本社会の価値観の違い~その2)謝罪、和解、そして誓い

問題発言のパネルの翌日の朝、ライフネット生命保険の岩瀬副社長からメールが届いた。マーク・デュレイ氏のメールアドレスを世界経済フォーラムのウェブサイトより入手して、転送してくれたのだ。僕は、早速デュレイ氏に以下メールを打った。

Mr. Du Ree,

I have written the following tweet at twitter and written a blog in Japanese.

>Mr. Mark Du Ree, CEO of Adecco Japan said "Japanese youth has no values" at WEF EA Summit.He owes an apology to Japanese youth.

I was at the panel listening to your comments yesterday.
I felt your remark was of a very one sided view with over generalization. Most of the Japanese people I informed are angry at your remark. I would like to hear your views on this.

Yoshi

彼から、一時間後に返答が入り、ランチタイムに会うことになった。

彼は、秘書から朝連絡が入っていたようで、異常を察知したのかとても恐縮している様子だった。握手をした後に、30分ほど意見交換した。話しの中で、デュレイ氏は、公に謝罪をすることに同意された。デュレイ氏と一対一で話をすると、日本への愛情が伝わってくる人情味ある方だと認識した。公の謝罪の形式は、僕へデュレイ氏からメールを出してもらい、それをウェブサイトにアップするということになった。

僕は、自分自身が登壇するパネルの時間が近づいていたので、丁寧に握手をして、その場を離れた。その後、イノベーションに関するセミナーに参加した。終わった後、竹中平蔵さんにお会いしたので、田坂広志さんを交えて3人で、一時間ほどお茶をしながら、意見交換をした。

そして、ホテルの部屋に戻ると次の内容のメールが、デュレイ氏からメールボックスに届けられていた。

----------------------------------------------
From: Mark DU REE
Sent: Monday, June 07, 2010 3:40 PM
To: hori
Subject: My Sincere Apology

Dear Hori San

Thank you for taking the time to meet with me.

Clearly my choice of words was not appropriate for the Forum which we are attending, nor was it an appropriate message for the young people of Japan. For this, I am profoundly sorry, and offer my deepest and most sincere apologies.

I have lived much of my life in Japan, and I love the country and its people. This is why I have stayed as long as I have and it is why I try so hard to help make it a better place, whether in my business activities or when interacting with the young people at the university. It is my sincerest hope that the young people will take more initiative in the affairs of their country, whether that means business or politics. This means "standing for something" and making one's voice heard. For some people, this may be outside of what is normal and usual for them. But, I think that for the continued success of Japan, this is critical.

In this case, Hori San, you stood for something, and brought it to my attention. Thanks again for taking the time to meet with me. For this I offer my gratitude.

Again, I offer my sincere apologies.

Kind regards

Mark Du Ree

僕は、気持ちが熱くなりながら、すぐ以下の通り返信した。

Mark,

It was a refreshing moment for me to have a chat with you for over a half an hour. I felt your passion to Japan. So I may have been the one who might have misunderstood your motive behind your statement. In fact, I felt very relieved after the discussions with you.

Thank you for apologizing on your comment. After a chat with you, I felt strongly obliged to work harder for Japan and for Japanese youth. I will stand up and endeavor to make changes to Japan.

BTW, Mr. Takashima of Oisix also wants to talk to you. He was another Japanese at the panel who also got offended. I told him the outcome of our discussions, but he still wants to talk with you in a friendly manner. I will give him your email address, but it is totally up to you to decide.

In the meantime, I will put up your email to my website as promised.
All the best and hope to see you again, soon.

Yours,

Yoshi

僕は、このメールを書いた後に、マークの言葉を思い出していた。「私は、日本のことが好きだ。だから25年間も日本に住んできたのだ。だが、この20年間の日本には落胆している。日本の将来を創る若者には、大いに期待してきた。だからこそ大学で教えているのだ。期待が高い分、落胆も大きい。従い、あれだけの強い言葉を選んでしまったことを理解して欲しい」、と。

僕は、複雑な気持ちになった。これだけ日本のことを好きな人を落胆させてはいけないのだ。僕ら一人一人が、立ち上がり、良い日本を創らなければならないのだ。そう強く心に誓いつつ、この「国際社会と日本社会の価値観の違い~その2)謝罪、和解、そして誓い」をブログアップすることにする。

今ホテルの階下では、東アジア経済サミットのフィナーレのパネルが開かれようとしている。テーマは、「アジアのリーダーシップ・アジェンダを再考する」である。日本そしてアジアに何ができるかを真剣に考え続けていきたい。

2010年6月7日
ホーチミンのホテルにて
堀義人

追伸:その後、マークからは以下、さらに返信をいただいた。

Yoshi

Thanks so much for your kind words. I am greatly relieved that we had the chance to speak and that my passion for Japan was better understood. I am sorry for my weakness with words and will try diligently to better express myself.

I myself will redouble my efforts to support and help the young people of Japan, and hope to be able to have future dialogs with you, so that perhaps we can make Japan and the world a better place through our efforts.

If Takashima San is still here, I would be pleased to have a friendly chat with him. If we are not able to meet here, I would be happy to meet him some other time in Japan, or via email or telephone.

Thanks again and kind regards

Mark

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     私の前職であるグロービスグループのグロービス経営大学院が二年連続でMBA学生満足度No.1に選ばれた!  元社員であり、学校法人化に関わった一人として、とても嬉しい。  そして、学生満足度を得るためには、教授だけでなく、カリキュラム、教材作成部門や.......……続きを読む

    受信 : 2010年6月18日 (金) 16時58分

コメント(28)

  • いいお話ですね。正直に、Straight Forwardに、ただし誠意をもって議論をすることでお互いがわかりあえるという、最善の結果にたどりついた事例だと思います。すべてのケースにおいてこうした良い関係に落ち着くとは限りませんが、黙ったままではお互いの本音も気持もわかりあえず、現状から先には進まないわけで。
    口撃とジョークとをうまく織り交ぜ、議論の中身と議論をする者とを分けて考えることのできる国際人と理解しあえるようになるためにも、もっと私たちは「議論の仕方」を学ばなければいけないと思いました。

    投稿者: 鷲巣大輔

  • ブログのアップ感謝します。

    Standing for something.
    デュレイ氏を失望させてしまった当事者の一人として、自戒をしたいと思います。
    また、デュレイ氏が私達の大学にまた来たときに、日本の可能性を再認識してもらえるような、そんな大学にしていきたいと思います。

    また、いろんなつぶやきを戴けるとうれしいです。

    投稿者: 藤田信人

  • この件をツイッターで拝見して、これは本件に限らず、日本の根幹的な問題と重なるとおもうのでここで反論させていただきたいと思います。
    まず、日本は国際的にも、つまり欧米が主導権をとった国際的ルールのもとで、日本の得意分野ではとくに日本に不利でアンフェアなルールに変えられ、さまざまな分野で苦戦をしいられています。

    その原因についてはここに書く時間がありませんが、だからこそ国際会議において、日本は自分の立場をはっきりと強く主張する必要があります。

    まず、会議でデュレイ氏の発言が不当と考えたのなら、その場で反論すべきです。あなたは他の方もデュレイ氏が適切な発言をしてないと思っていると考えたから、反論しなくてもいいという助言を受け入れたといっています。しかし、そうでしょうか。他の方はデュレイ氏の発言が正しいものと受け取った人も多かったかもしれません。
    だからこそ、その場で反論をすべきでした。そしてもし、あなたの反論に対して、デュレイ氏にいい訳があるのなら、その場で言わせるべきでした。

    あとから会議ではない場で謝罪をしてあなたのブログでそれを見せても見るのはほとんど日本人です。それもどれだけの人がみるでしょう。日本人に理解してもらうことより、国際的な場であなたが言っているように抗議をしなければ意味がありません。

    そして、デュレイ氏の問題ですが、大学で講義を聴かないのは講師の問題授業内容の問題が大きいとおもいます。特に文系はどれほど無駄な授業がおこなわれていることか。ほんとうに有意義な講義ならたとえ学力が低くても人は聞くものです。

    そして、あなたは反省する必要もないところで「これだけ日本を好きな人を落胆させてはいけない」などと反省をして結んでいるのですからやり切れません。
    デュレイ氏を悪く取れば、日本での大学で教えているという地位やその他の評判を落としたくないための儀礼的謝罪かもしれないし、そんなことより、国際的なばで主張できない日本人ばかりではこれからも日本は衰退していくばかりと悲しい気持ちです。

    投稿者: bonbonto

  • 強い想いが、時には強い言葉へと変わってしまう事はあります。

    デュレイ氏はまさにそうだったのであろうと思います。

    今回、我々が考えなければいけないのは、彼を失望させてしまったという事実。

    この事を無責任な傾聴ではなく、責任ある傾聴としてしっかりと受け止めなければならないと思いました。

    投稿者: 石村浩延

  • ツイッターとブログを通して、今回の堀さんの発言と行動に大変感銘を受けました。

    日本人の学生があまりにも勉強しないということについての是非はここではおいて
    (私はボストン在住ですが、土地柄か日本から留学してこられる方の
    知識と見識の深さ、思慮の深さ、人間の魅力にはいつも感銘をうけています。
    日本人には若くとも素晴らしいかたはたくさんいるというのが私の意見です。
    そういう人ばかりでないというのはアメリカもまたしかりで、アメリカではただ
    そういう人は大学に進めないし進まないだけだと思います。)

    自分の感じたことをしっかり相手に伝え、また相手からの反論は聞き
    誤解のあったことはお互いに修正する、これこそがCommunicationだと思い
    堀さんの採られた行動はまさに国際社会で皆が納得する行動だと思います。

    こうしてお互いにお互いの理解が深くなり、素晴らしい話し合いだったと思います。
    同じ日本人として、とっていただいた行動に深く感謝します。
    私自身も海外に住む日本人として同じように品格をもって行動したいと思います。
    海外にいると言うことはできるようになるのですが、つい感情がたったり
    深い思慮の上の発言が足りなくなることもあります。こうしたコミュニケーション学も
    ぜひグロービスで学ぶ機会があるといいですね。また堀さんのように社会的に実績があっての発言が大きいのだと思います。その意味でも立派な社会人をこれからも目指していきたいと思います。

    心よりの感謝をこめて。

    投稿者: Satoko Watanabe

  • こんにちは。以前、名古屋校に通っていた者です。
    本件、twitter でのつぶやきを目にしたときから気になって追いかけていましたが、こうして先方と議論し、一部始終を共有していただけたことに感謝します。私も胸が熱くなりました。

    件のコメントについては(たとえ「期待をかけた」つもりであったとしても)、そのまま広がってしまっていたら、それに奮起させられた層はひと握りであったような気がしています。(ああいう発言を受けたとき、「ダメだよね」「しょうがないね」で済ませてしまうような、どこか他人事のような、のんびりした空気があるのは否定できないと思います。"若者" に限らず。)

    だからこそ、こういう、お互いの真意を打ち明け合う議論も大事だし、それをオープンにするということ、それから、こうして発生した前向きなエネルギーを共有していくことにも大きな意義があるな、と感じました。ありがとうございました。

    投稿者: tmtysk

  • こんにちは。
    渦中の立命館アジア太平洋大学(APU)の卒業生です。
    ブログ拝見させて頂きました。
    私は今、別の国の大学院で勉強をしていますが、デュレイ氏のような日本に可能性を感じておられる方を落胆させない為には、日本の大学、そしてAPUの卒業生だという看板を背負っているという事を忘れてはいけないと改めて実感させられました。
    ありがとうございました。

    投稿者: 上田壮一朗

  • 日本での長い生活の中で…堀さんも感じられているように、マークさんは
    日本人以上に日本を、そして若者達を憂えていらっしゃったのですね。

    今回の堀さんとマークさんのやりとりで、これからの日本の若者が
    向かうべき方向性を感じ取れたような気がします。
    語学を学び、国外を冒険し、多くの国際人と意見を交換し、日本を知り、
    世界を知り、心を知り、文化を知り…積極的に心のシャッフルを行うこと
    により世界へ通じるしっかりとした道が開かれるような気がします。

    今回の管新政権の布陣は、若手がずらりと顔を揃えています。
    彼らの熱い眼差しを見ると、「今こそ我らが時!」という
    強い思いと決断がひしひしと伝わってきます。

    若者が本気で何かに向かう姿こそ、国民に勇気と希望を
    抱かせるのだと信じます。

    投稿者: 黒川

  • Mark Du Reeは問題の本質を見誤ったと思う。
    若者を育てるのは親であり、社会であって若者自身ではない。
    何かと話題になる「ゆとり教育」にしてもゆとり世代が考え選択したわけではない。
    質の悪い学生のケースも、それで単位取得や卒業出来てしまう制度の方が問題。
    私自身は若者とはいえない年齢ですが、何か問題があると若者のせいにされる
    そんなケースが多く見られ、違和感を覚える。
    自分の非や過ちを認め素直に謝罪することは立派なことだとは思う。
    ただ、見方を変えれば立場のある人間が公の場で発した言葉への責任の無さ
    言葉の軽さを露呈している。
    若者にも問題はあるのは理解するが、大人が作り上げてきた様々な不条理や汚さを
    見ながら育ち今後背負って行かなければならない若者の現実を
    大人として理解する義務が我々にはあると思う。

    投稿者: xiao

  •  炎上が広がる前に、こういう形で決着したのは良かったかもしれません。

     ただ、別段蒸し返す訳ではありませんが、もう少しこの方のご不満な所
    を具体的に知りたく思います。この際だから、皆で詳細を考察し、課題点
    や問題点を洗い出し、解決法を探す。それでこの話を終わりにするのがベ
    ストかなと思います。

     文殊の知恵を出し合いましょう。

    投稿者: 明石蛸三郎

  • 憤慨する気持ちは理解できるが、twitter等に書き込むタイミングが早い。
    デュレイ氏の真意を確認せずに一人でキレているのをオープンにするのは、結果次第では堀さん本人が損するだけじゃないだろうか。

    当初twitterを見ていても、堀さんがキレている理由が、「この場で発言することじゃない」なのか、「発言内容が間違っている」なのかもわからない。
    両方な気もするが、デュレイ氏本人に確認できなくてイライラしているようにも見える。

    デュレイ氏の発言の真意を確認せずにキレるのは、日本人的な見方では単なる「ケンカ早い人」という気がするし、堀さん的な立場の人はやっちゃいけないのでは。
    あわせて、事実確認前に公の場でデュレイ氏を批判することも。

    最後に「いろいろ書いたけど、真意を確認して和解した。お騒がせしてごめんなさい」とか、立場的にありえないですよ。

    っと思いました。

    投稿者: 佐藤文彦

  • ダボスも、その人も、この記事も、その殆どが、
    目立って優越感にひたるための、エンターテイメント。

    変な嫌がらせをして、何がloveなんでしょうか???

    いい大人が「最近の若者はけしかん」とか
    「俺がこんなにしてやっているのに、お前らときたら・・」とか
    やめてほしい。

    こんなことを続けながらの、正義をふりざしは、
    本当にエンターテイメントだ。
    全部とは言わないけど。

    純粋な若い人たちが、こんな人たちの影響で、つらい経験をたくさんしているよ。。。

    投稿者: NARUSE

  • 国際会議で放言し突っ込まれたらすぐ謝罪。
    しかしフォーラムでマーク・デュレイ氏のご高説を聞かされた他の参加者にはこの経緯は知らされず、
    駄目な日本の若者、駄目な日本という風評・先入観が世界中にバラ撒かれ一人歩きしてゆく。

    それにしても今回、この件を堀さんが取り上げなければデュレイ氏は同様の過ちを繰り返していたのだろうか。
    「日本、大好きでーす」と言いながら。

    投稿者: speciosum

  • 素朴な疑問

    差別発言自体は、マークデュレイ氏が日常的に日本人を軽蔑していたからこそ
    出た発言だと私は感じます。
    後始末のうろたえた言い訳の行間に嫌な感じを取れました。
    私だけでしょうか?
    Q1ダボス会議の流れを汲む権威ある会議に、なぜこれほど不自然で無知な差別発言をする人がパネリストとして選ばれてるのか?
    Q2立命館大学は、なぜこのような倫理観のない人を客員講師として迎えているのか?
    Q3アデコの社員は、コメントできない締め付けをされているのか?

    素朴な疑問です。 おかしいでしょうか?

    投稿者: YY

  • 堀さん、最初にその後を見てそれから発端の記事を拝見しました。

    結果的には、氏の真意は昨日の管首相の所信にも述べられていた、
    若者への叱咤激励、ということで、私も既におじさん世代の1人として
    気持ちを同じくしたところではあります。

    が、当大学の本校卒業生としては、正に当事者として怒り覚めやりません。

    堀さんのブログではその後を知ることができますが、当日その場に
    いらした各国の方々は、どれほどの悪い印象を持ったか計り知れません。
    そしてその方々が自国に戻られてから、どのようにお話されるのか。。。

    「No-Value=not human」、人格否定、正にその通りだと思います。

    私は堀さんの知性に満ちた気性の荒い部分、大賛成です。

    誰も反論できないまま終わってはいけないと思います。

    投稿者: おおしま

  • 立命館アジア太平洋大学(APU)4回生です。
    2日前にtwitterを通してこの話を知り、堀さんのブログを拝読しました。

    デュレイ氏の発言そのものには残念に感じますが、彼があの場でそれだけのことを言うほどの何かがAPUの学生にもあったのだと思います。
    彼の発言に対し、堀さんが今回のようなアクションを取っていただいたこと、また発信していただいたことに非常に感謝しております。
    ありがとうございました。

    twitterでこのブログのURLをリツイートしたところ、APU生を中心に議論がなされました。
    あくまで学生の視点からなのですが、もしよろしければtogetterでまとめたものをご覧になってみてください。
    http://togetter.com/li/27624

    APU学生としても、日本の学生としても、デュレイ氏の発言内容が現状として存在することを否定はできません。
    しかし、決して「価値観を持たななく、ヴィトンのバッグと携帯電話さえ持っていればいい」というような学生が現状の全てではありません。
    (少なくともAPUに関してはむしろそういった学生は少ない気がします。)

    デュレイ氏が現在開講している授業での学生の受講態度が良くないことは、彼の授業に出席している学生も述べています。
    ただ、デュレイ氏が日本人の学生に多く期待している中で、彼が一教育者として学生を十分に惹きつける授業を行っているかどうかは、また別に考えなければならない点だと思います。
    私自身は彼の授業を受講しているわけではないので、それの真実のほどは定かではありません。
    しかし、普段授業に対して真面目に臨んでいない学生が大半のクラスであったとしても、教員側が魅力的な授業パフォーマンスを行えば、学生側も純粋に授業を楽しんでくれる可能性は十分にありうると思っています。
    また、彼が不満を抱いたような対象の学生に、彼はどのように指導したのでしょうか?
    大講義では授業形式も一方的になりがちですが、彼は学生と十分にコミュニケーションを取っている、もしくは取ろうとしているのでしょうか?

    現在、日本の大学でも Faculty Development の流れが強くなってきています。
    デュレイ氏が日本の学生に期待を抱いていることそのものは嬉しく思います。
    その一方で人材育成を行う側がその意識を持っているだけでなく、自分自身を顧みる、教え方を反省してみる、そういったことも必要だと強く感じています。
    他の方のコメントでもありましたが、「1つのクラスを任され、それさえも満足に運営できていない」。
    学生だけの問題ではなく、教壇に立つ者としての役割も再考せざるを得ません。

    「日本の学生」に関してもデュレイ氏の発言に同意しうる部分はあります。
    APU内部においても全体的には国内学生と国際学生の間には学習意欲の大きなギャップがあるようにも感じています。
    どの時代、どの場所でも集団の中では真面目な人・不真面目な人というのは出てくるものですが、上記は日本の教育における構造的な問題ゆえの現象でもあるのではないでしょうか?

    個人的には学生自身に対しても、デュレイ氏の授業そのものに対しても多くのことを考えさせられます。
    今回、堀さんのブログを通して、こういった一連の事実があったことを知れて良かったです。
    改めて、ありがとうございました。


    投稿者: 望月洋子

  • こんにちは。twitterから拝察しておりました。日本人は本質的に「おとなしく」「外国人からすると発言や意思決定スピードが比較的遅い」ことが多いため、なかなか相手といい距離感でかつ敬意をもち、礼儀を失せず反論をして合意をする、ということはそうできることではないと思います。。

    国際社会で相手に非を認めさせる、というのはなかなか勇気のいることだと思いますし、また一つ言葉遣いを間違えてしまうとぶっきらぼうで礼を失してしまうことも多々あることを身の回りで体感しておりました。

    場の大きさはまったく違うのですが、私も、会議中に外国人側に真意を確認するだけで日本人側から、「戦ってくれましたね」と言われることが多く、なにか、他の日本人より浮き立って目立つ感覚が好きではない感覚がありました。

    私は、英語を学ぶ、というレベル感ではなく、国際社会で、本質的な意味の
    コミュニケーションができる日本人をもっと増やしたいと思っています。

    投稿者: 大黒千晶

  • 堀さんのメッセージを最初メールで読み、その後のDu Ree氏とのやり取りを読んでも、堀さんがそもそも何故それほど腹をたてたのか分らない。発言の真意が読み取れません。おそらくこれがTwitterの怖いところのように思う。
    問題の本質という点では、投稿者の1人のXiaoさんの見解にもっとも共感します。
    確かにNo Valuesというのは、いささかOut of context、ヴィトンと携帯は極論です。にも拘らず「ヴィトンと携帯」も価値観の1つです。そんな価値観を持つ多くの若者を、この国の教育システムが作り出してしまった。そしてそれを是正しようとするCollectiveな努力が(少なくとも目に見える形で)行なわれていない。私たちが腹を立てるとすれば、こっちの方だと思います。
    そのような発言があったことも、ヴィトンと携帯を自分の価値観とする若者が日本には多いらしいことも、日本人以外は次の日には忘れてしまいます。
    最後に、講師の話を聴かない学生が多いのは、半分以上講師の責任です。講義が面白くないからでしょう。面白くない講義を集中して聴けというのは、講師側の傲慢だと思います。

    投稿者: 尾関好良

  • 僕はいまどきの大学院生によく触れる仕事をしているのですが、日本の若者を「携帯とブランド、友人」と評したデュレイさんの話は現象としては正しいと思います。ただ、彼らが将来的に「no value」な大人になるかどうかは別の話で、仮にそうなっていくのだとすれば、良くも悪くも昔から内向きの村社会の中で「以心伝心、オシャレ好き、連帯重視」であった日本人は、100年前から「no value」だったことになると思います。

    話はかわるのですが、今回のデュレイさんの議論に憤慨した日本人の大人も、似たような議論を「ゆとり教育」でしていないでしょうか?

    「ゆとり世代」といって今の若者を滅茶苦茶に言う大人がいますが、「ゆとり世代」は単純に成熟がゆっくり行われるように設計された世代であって、成長が緩慢だからといってかならずしも彼らの終着点が低いわけではないと思います。就職に関しても、お金や名誉と成長だけを求めていたひと世代前に比べて、やりがいや自分の能力を活かす、社会に関わっていく、といった点できちんとvalueをもって就職活動している若者も多くいます。知識では旧世代が同年齢だった頃には劣るかもしれませんが、だからといって人間として劣っているとはまったく思われないですし、価値観というところではもしかしたら優っているかもしれません。(単にだらけている若者も当然いますが、それは昔だって同じことでしょう。)

    欧米に追い付け追い越せだった時代のつめこみ教育を変えなければならない、かといって今から欧米の何百年という文化がきちんと背後にある教育価値観に表面的にただノリして、欧米型日本人を大量生産するというのはアジア重視の時代に遅れをとることになるし、本家の欧米にも当然負けることになる。「ゆとり教育」というのをきっかけに、今の日本の繁栄を築いた本当の日本人本来の特質はなんなのか(これに関する世の中の議論は明治維新どまりがほとんど、いっても後期江戸時代で終わりです。)、またそういった特質をきちんと教育の中で伝承し実現していくのはどうしたらいいのか、というのを皆で考える時期なのだと思います。

    投稿者: 信長

  • さて、本心はどうだろうか
    秘書の機転によりうまいこと丸められた感じですね。

    どのようなフォーマットで会議が行われていたかは知りませんが
    どんきょうなフォーマットの会議であれ、それほどまでの侮辱的な
    問題発言があった時点で、その場で発言を正すよう要求すべきでした。

    このような事後対処では、会議参加者全員に伝わる訳がありません。

    事後対応を求めている時点で、極めて従来の日本人的対応だなと感じます。

    私たちは国際社会での立場と自己の利益についてもっと敏感になり
    俊敏に発言できるようになる必要があると感じました。

    投稿者: ともちん

  •  はじめまして。僕はAPUの卒業生で現在某国立大学院で学生をしています。友人のツイッターをみてこのことを知りました。堀さんの何らかの助けになることができれば幸いです。

     まずはじめに、僕は物事をよりポジティブに見つめることから何かを学びとっていきたいと考えています。そのために必要なことは相手がどのような背景や文脈を通して発言したのかを理解しようと努めることだと思います。特に、不快であると感じた発言である時こそ、よりそうした姿勢に意識的なるべきであると思っています。ただ単に、言葉の表面のみを理解して揚げ足を取る様な行為は慎むべきであると思う。そして、僕はAPUが大好きな卒業生なのでそれなりに意見に偏りがあるかもしれません(笑)ですので参考程度で良いので僕の意見を聞いていただけたらいいと思います。

    「日本の若者は、ルイ・ヴィトンのバッグと携帯電話さえ持っていれば、それでいいのだ。クラスでも全く授業を聞かないし、携帯電話で遊び、友達と会話して、話を聞いていない」堀さんのブログからの引用(2010年6月7日)http://blog.globis.co.jp/hori/2010/06/post-5d3d.html

    デュレイ氏がAPU授業で話していた事はシラバスを見ればだいたい想像することができます。http://portal1.apu.ac.jp/syllabus/syllabus/search/SyllabusInfo.do?nendo=2010&kogikey=021003EA1
     
     この授業はたぶん就職活動やキャリアを形成するうえでの重要であることについて、グループディスカッションをしながら講義されているのかと。しかも、英語開講の授業ですので、国際学生と国内学生が意見をやり取りしながら行われる授業なのかなと思います。決して学術的な内容の授業ではないかもしれませんが個人的には面白そうな授業ではないかと思いました。シラバスを見ての感想ですが。

     僕がここでまず、注目したのはデュレイ氏はどのような意図で「ルイ・ヴィトンと携帯電話」を持ち出してきたのかという事です。これは文字通りに近頃の学生はヴィトンを持ってて、携帯電話をパチパチやってる人が多いということを行っているわけではないと僕は思います。
    僕はこの「ルイ・ヴィトンと携帯電話」を聞いた時にふと『レクサスとオリーブの木』が頭に過ぎりました。そういえば、デュレイ氏がAPUでトップ講演を行った年に1回生開講の授業で読まれていたのが、トーマス・フリードマン『レクサスとオリーブの木』であったなぁと。

     そして、「ルイ・ヴィトンと携帯電話」も「レクサスとオリーブの木」のように何かを象徴したものであろうと。推測であるが、ここで言われている「ルイ・ヴィトン」は消費についての形態や性質について言っているのではないか。稼いだお金で物を買い漁る。必要以上の贅沢をする。社会的な貢献に目を向けずに、私欲を溜め込んで自分のためだけに使い込んでいく。そうしたことを象徴する言葉として「日本人の若者がヴィトンを持っている」があり、を批判しているのではないかと。
     
     では、携帯電話は何かというと、これも推測ではあるけれど、内輪だけの強固なつながりのみを重要視し、外側へ視点を向けようとしない姿勢、仲間内だけでつながっていてばそれでイイという内側志向を象徴したものではないか。

     「日本の若者は社会のためではなく、自分のためだけに働き、外側にいる他者と交わろうとせず、内輪だけでやっていこうとする人たちが多い。」これがデュレイ氏が20年前から日本の若者に対していだいていた問題意識としてあるのではないか。

     こうした「ルイ・ヴィトンと携帯電話」の問題が日本にはあり、デュレイ氏はそれを批判しているのではないでしょうか。ただ単に日本人の授業の態度の事を批判しているとは僕には思えない。なぜなら授業態度が悪いのは日本人に限ったことではない。僕個人の経験として本当に授業の態度が悪いと感じるのは集団で授業を受講している韓国人や中国人だったりすることが多かったから。彼らは個人として付き合うにはいいが、集団となった彼らには頭を抱えてしまうケースがあったりする。

     そして、単に学生の態度を批判することは国際会議でどのような成果を生むのかを考えれば、他にちゃんとした意図があるのではないかと考えた方が自然ではないか。

     では、一体、なぜデュレイ氏は国際会議の場でそうした日本人が抱える問題を指摘したのかというと、「ルイ・ヴィトンと携帯電話」の問題は日本だけに限った問題ではないからだと僕は考えます。多くのアジア諸国にとって、日本はただのアジアの小国ではない場合多いことが挙げられる。僕はAPU在学中によく国際学生に「何を日本に留学して学ぼうと思っているのか」と質問していました。こうした質問に対し、多くの国際学生は「日本の高度経済成長に関心があり、自分の国も日本のような高度経済成長を目指したいから」と答えることが多かった。
     
     日本の高度成長後のバブル崩壊後の低迷はここではとりあえずおいておくが、多くのアジア諸国にとって日本の「高度経済成長の神話」は今も魅力的なものである。それは、学生にとっても政治家にとっても。
     
     日本のように経済成長をしていくこと自体は決して悪いことではないし、目指していけば良い。しかし、日本の高度経済成長は日本に良い事だけを残したわけではない。我々は高度経済成長がネガティブな問題ももたらしたことを受け止めなければならない。その問題こそが「ルイ・ヴィトンと携帯電話」である。
     
     今後、アジア太平洋地域が成長していく上で重要なことは、国や地域が個々に利益を貪り合うような関係ではなく、お互いが単一の価値に縛られる事なく、相互的に、補完的に、多様な社会をつくっていく事を目指すべきである。そのためには内向きの視点ばかりではなく外側へもう少し視点を移す必要があるのではないか。
     
     デュレイ氏が言いたかったのはそういうことだったのではないか。このメッセージを彼は議論を通して導きだしたかったのではないか。しかし、不幸なことにデュレイ氏のユーモア溢れる刺激的な言葉は周りの人には理解されず、むしろ空気が読めない人としてひかれてしまい、モデレーターにも相手にされなかったのではないか。しかも、堀さんは日本を馬鹿にされたと怒ってしまうということになってしまったのではないか。

     堀さんはどれくらいAPUの事を知っているんだろうか?もしかすると大分の地方私立大ぐらいにしか思っていないんじゃないのか。実際に堀さんが2ヶ月間APUで授業をされてみたら実はそんな単純なものではないことがわかると思う。10周年を迎えたAPUもまだまだ完璧には程遠い大学であり様々な課題を抱えていることは事実である。しかしただの地方私立大ではない。

      APUができるに至った経緯はかなり奇跡に近いし、国内外を問わず多くの方のサポートによって成立している。デュレイ氏もその一人であり、アドバイザリー・コミッティー(注1)として資金的にもまた、授業を行うなど(注2)尽力していただいた方である。このことを素直に受け止めて、ポジティブに彼の言葉を理解すると、必ずしもAPUを批判しているだけで終始していないのではないか。むしろ、APUへの評価やサポートしていることが前提にあると考えた方が妥当である。
     
     APUという国際大学としての環境が整い、多様な国、地域の人々と交流する環境があるにも関わらず、また、国際的なことに興味をもち入学したにも関わらず、多くの日本人学生の意識に「ルイヴィトン・と携帯電話」の性質を見てとることができる。国際大学の学生ですらそうした傾向の学生が多いとなれば、一般的な日本の大学生の視点はそれをも下回る悪さであることは想像がつき、相当根が深い問題であるのではないか。といった具合にデュレイ氏がもし考えたとしたらどうだろうか。

     デュレイ氏はこの「ルイ・ヴィトンと携帯電話」の問題を国際会議の場で明確なものとして多くの人に印象付け、今後の解決方法を模索するために発言したのではないだろうか。彼の企ては会議では失敗に終わってしまったのだけれど、こうしたユーモアがあってムチャぶり的な行動はAPUっぽいなぁと思ってしまったりします。

     ここまでの僕の主張はすべてポジティブな推測に基づくもので実証性がありません。ただ、デュレイ氏と堀さんの対話は本当にちゃんと噛み合ってるのかな?という疑問からここまで推測してみた次第です。妄想の域を脱していないですが・・。

     確かに学生のなかには「ルイ・ヴィトンと携帯電話」の価値体系をした人が多いかもしれません。しかし、そうした価値体系は大学の4年間でぶち壊してしまえば良いだけの話です。APUはそれができる日本には数少ない大学の一つであると思います。


    注1:アドバイザリー・コミッティーとは以下のサイトを参考にしてください。
    http://www.apu.ac.jp/home/modules/keytopics/content/10_AdvisoryCommitee_J_2010_3_1..pdf

    注2:アデコのCSRからAPUへの支援は以下のサイトから見ることができます。
    http://www.adecco.co.jp/about/csr/index.html

    投稿者: @takkob05

  • 堀学長

    東京校の市川と申します。大変考え深い話をありがとうございました。
    前回ブログの「No Value」というのを見て、「怒り」と「納得感」の両方を感じていました。そこに、「期待していた分、落胆も大きい」という話を聞いて納得感が強くなりました。

    日本人でも一部の方々は、日本国内・海外において大きな活躍をされていることは事実であり、その方々はものすごく志と能力が高い方なのだと思います。それを日本人のステレオタイプと思われて、大学でお教えになっていると確かに「落胆・怒り」が大きいと思います。
    今の日本は、「皆と同じがよい」という文化が過度になっているのかなというのは私の意見ですが、周りの友人に認められたい・仲間はずれがいやだという気持ちが強いのではないでしょうか??そうすると、目立つような能力発揮や真のリーダーシップ発揮はしないほうがよいという考え方になるのかなと漠然と考えています。

    この記事を読んで、少なくともグロービスに通っている私たちは国内および国際社会においてValuableな人材を目指したいと、気持ちを新たにしました。

    最後に、能力高く活躍される方というのは、言葉の選び方や発言の場所を間違うと、その影響力がよくない方向にいくのだということも教訓としていただきました。
    ありがとうございました。


    投稿者: 市川文登

  • 堀さん 
    イヤーよく議論していただいて有りがたい。
    数年前に、青山にあるAnaheimUniversity のMBA クラスの人たちに
    英語で講演したことがありました。
    学生の大半が日本の会社に勤めている外国人でした。
    インド人、アジア系の人が多かったようにおもいます。
    さて講演のあとの質疑応答がまるで日本の会社が暗い将来性のないところで、
    意見がけして取り上げられないし、Decision が決してなされない、
    まるで毎日がDepress した中ですごしている。と 数名の人が発言していた。
    まるで聞いている私は腹立たしくなりましたが。ある程度理解もしています。
    それでこんな話をしてあげました。

    日本の会社の雰囲気はそうかもしれないが、しかしその会社が今日までSurvive
    している理由がわかるかと、それはそのような雰囲気のなかでも自分の信念を
    はっきり述べて会社の将来のためにInnovation を実現している侍がいるのですよ。
    だから貴方がたもその一人になる必要があるのですよ。 
    出る釘はうたれます。しかし強い釘はまけません。
    だからこの社会はそんな人物を輩出するために試練を与えているのだと。
    ですから現状を嘆かずにその中で戦いをして自分で社会を変えていかなければいけないのですよ。 

    堀さんが議論された マーク・デュレイ氏 がこの時の学生達のような気がします。
    彼があとからお詫びをしている、何か変えたいという気持ちが言わせたのだとおもいます。
    最近Silicon Valley でこんなことがありました。
    日本は老害が多すぎていけないその連中を一掃して日本を変えないといけないのだという。
    私は凄く頭に来て彼の発言の後に冗談じゃない、だれが今の日本の礎を築いたのか
    むしろ骨のある若者がいないから世の中が変わらないのだと、反論しました。
    だから今の若者はいまこれらの困難な中で立ち上がれる人を作るために
    試練を彼らに強いてるのだと言いました。
    兎に角“侍”よ 出でよ、です。

    堀さんお互いに頑張りましょう。

    投稿者: 平 強 (シリコンバレイ 在住)

  • こんにちは堀さん、上羽です。最初の文章ドキッとしますね。
    会われうまく対応されたと思います。
    私もこの3日間徹夜で(時差があるので)DEVELOPINGCOUNTRY向け中古車輸出(英語)電話、メールで交渉上手な海外貿易商の言葉に頭に血がのぼりながらも(藤田田さんの本を思い出し)冷静に対応して大量契約、事業うまく伸びてゆきそうです。
    英語の電話に対応する時実力が試され、英語の文章も教養が垣間見えますね。
    日本人の英語力UPはMUST SKILLですね。
    実践英語教育などについてお話したいですね、事業が伸び東京に輸出関連で行く際ご連絡いたしますね。
    よろしくお願いいたします。

    投稿者: 上羽 義弘

  • はじめまして、現在APUに通う学生です。
    今回初めてこの記事を読ませて頂きました。
    APU生である私にとって自らの問題であるにも関わらず、知ったのが10日も過ぎてからという自分に情けなく思っております。

    さて、マーク・デュレイ氏の発言ですが、もし、APUに通っている私から反論するとすれば、以下のようになります。
    しかし、とても仕様も無い内容です。
    以下は私の経験であり、APUにおいて普遍化できるものではないかと思われます。

    1.APUには二通りの授業がある。うるさいか、静かであるかのどちらかである。静かな授業には、比較的熱心な学生が集っており、200人を超える大講義でも95分の授業は一貫して静かである。

    2.デュレイ氏は講義の半分は日本人であるとおっしゃっておられるが、その講義が英語で開講されているのであれば、おそらく日本人学生はもっと少ないはずであり、かつ、私自身の経験から言うならば、話しているのは比較的国際学生である。そして、日本人学生は寝ているであろう、ということ。

    3.残念ながら、山の上(APU)にヴィトンのカバンを持ってきていることを、デュレイ氏と同様に私の周囲も不思議がっているということ。(ただし、ヴィトンのカバンを持ってきている学生は他大学に比べて少数であり、デュレイ氏のいった「ヴィトンのバックと携帯電話」というのは何かの比喩表現なのかな、と思いました。)

    4.「日本の若者には価値観が無い」というが、では、日本人の大半が”無宗教”と答えるような国で、どのように価値観を作り上げられるのか。私自身、「価値観は何だ」と聞かれても答えられない。その価値観を作り上げるために、日本人は大学において”学問”をし、自分なりの価値観というものを持とうとしているのではないだろうか。

    おそらく、他のAPU生に聞くともっと多くの意見があるでしょうが、現在の私の意見としてはこの辺で留めておきます。

    デュレイ氏の発言において最も遺憾であることは、その発言を国際社会に向けて、しかも一般化させて発した、ということです。どの大学にも、熱心に学問をする学生と、そうでない学生はいるかと思います。APUも同様です。うるさい学生がいれば、「静かにしてください」「Please be quiet」と、注意する学生もいます。夕方に始まったゼミが夜10時過ぎ、時には明け方まで続くほどに議論を重ね、それでも足りない学生たちは自ら自主ゼミを開いたり、アカデミックなサークルを作って勉強する場を作っていく。そういう学生もたくさんいます。デュレイ氏の発言で、そういう学生がまるで一切いないかのように扱われてしまっているのです。そういう意味で、私は非常にショックを受けました。

    堀さんがおっしゃるように、国際社会では反論しなければそれは”正しい”ものになり、もしくは”弱虫”になってしまうということは、本当にそうだと痛感します。なぜそのように私が痛感したのかというと、私がAPUにいるからだと思います。APUは、小さな国際社会です。はっきりと言わないと、全てがうやむやになってしまう場所です。それは学生同士のみならず、大学に対してもそうです。しかし、大学に対していくら声を挙げても、しかるところに届かないことが多い。そして紆余曲折して誤解されたりします。(個人的には、学生を批判するくらいなら大学側を批判してくれ、と思いますが・・・。)つまり、個人を批判することは簡単ですが、”大学”や”日本の若者”のように組織や社会を批判することはとても難しいと思います。ですから多くの非難を浴びることになってしまったデュレイ氏の発言も、”日本の若者”を不快にさせるばかりになってしまう可能性が高いと思います。

    では、どのように訴えるべきなのか、というと私自身も明確な答えはありません。ただし、非難するだけでは何も変わらないということはわかります。組織や社会を批判するときには、何か代替案を提示しなければならない。日本の若者に価値観がないというのなら、一体どのような価値観が”日本人”にはありうるのだろうか、というように。
    本当に代替案を提示することが良い批判の方法なのかはわかりません。何故なら、私たち(所属するあるサークル)がそれを行おうとしている途中だからです。私たちは、APUが開学してから10年かけて積み重ねてきたあるサークルの活動によって、大学側にAPUにおける教育(主に初等教育)の問題と改善策を提示したいと考えています。

    話がそれてしまいました。つまり私が言いたいことは、デュレイ氏にもこのような学生がいるのだと知ってほしかった、ということです。上記のような活動を通じて、私たちは大学で学問をする際の規準を持ちつつあります。つまり、価値観を定めつつあります。そういう学生を、無に帰すような発言は、特にAPUにいたデュレイ氏の口から発せられたということは、とても残念です。

    投稿者:

  • 上のAPUの学生の意見に共感します。

    マークデュレエイさんに質問したいです。

    公式会議で『No Balue』と言いたくなったAPUの学生と
    デュレイさんが卒業した ブリガムヤング大学の『Balue』アメリカ人学生と
    何がどのように違うと感じるのか?説明して欲しいです。
    よろしくお願いします。

    投稿者: アジア留学生

  • はじめまして、

    今朝のドア日新聞の海外ニュース欄で堀 義人さんの掲題の記事を読みまして、すごく憤慨しました。
    良くその場で発言者に抗議をしてくれました。この発言者は異国文化の教育をどの程度受けたのでしょうか?
    日本に長い間いても自分の身の回りの人達の考えや行動しか知らずにこのような発言をしたと判断します。

    小生も都内の某私立大学理学部化学学科を1964年に卒業後、米国の化学会社に37年間ほど勤務して8年前にリタイアした者です。
    規模は小さいながらも一応多国籍企業でしたので世界中の国々の同僚と一緒に仕事をして来ました。
    住友商事さんとも長い間お世話になりました。
    在職中は異国文化の同僚と仕事をするには氷山に例えると水面下にある部分を良く理解しないと誤解を招くと教えられました。
    それと日本人はシャイな国民と誤解されるのを務めて改めて貰えるようにも努力しました。
    自分が納得できない場合には、理解できるまで相手に食い下がって質問をして納得できるようにもしました。

    今回も堀 義人さんが発言者に問い質さないでいたなら、自分の発言したことが正しいと思っていたと思います。
    これからも新しい起業者としてご活躍を念じております。

    投稿者:

  • 日本と外国の血が混ざっており(ハーフ)、両文化で育った私として今回の記事を拝見し、素晴らしいと感じました。よく日本人は議論が苦手と言われますが、私は議論そのものよりも議論をするうえでの妥協・落とし所やその後の和解が苦手だと感じておりました。議論がいつの間にか口論になってしまい、後味の悪い終わり方をすることが多いと思います。
    堀氏とデュレイ氏の議論では、強い意見がありながら相手への誠意の上に成り立っており、議論の本来の価値が現れたものであると感じました。
    堀氏が疑問に感じられた根拠、対応のされ方、すべてに同意いたします。

    一方、堀氏が「その1」で紹介をされたオイシックス高島氏の「アデコ社とはもう取引をしない」という発言(正確には引用)は全くもって非本質的であると考えます。
    確かに会社の代表の発言は文字通り会社を代表する発言であるため、会社自体の信用が問われることになるとは思いますが、それはあくまでも「会社の代表として」の発言の際のものであるはずです。

    今回の発言は日本の大学生についての氏の見解であり、アデコ社とは何ら関係のない発言です。日々アデコ社で一生懸命に仕事をされている社員の方々からすれば、本発言でアデコ社との取引をしないという理屈は全く理解されるものではありませんし、それこそ誠意を感じることはできないはずです。

    まさに「議論」が「口論」になってしまっていると感じました。

    堀氏による「議論の際の姿勢」に対する素晴らしい記述があっただけに、その2から振り返りその1を読ませた際に高島氏の発言を紹介し、それに対して特に注釈・指摘がなかったことに違和感を感じました。

    今後も拝読させていただきます。

    SB


    投稿者: sunset breeze

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