2010年8月11日 (水)
| 日本人・アジア人・地球人 | アフリカにおける国際奉仕活動への参加報告~(4)労働奉仕最終日の風景 |
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最後の5日目の朝を迎えた。いつものように、朝6時に起床した。外はまだ暗く、空気は冷たい。日本時間は、月曜日の午後4時だ。僕は、この束の間を活用し、仕事をすることにした。通信状況は相変わらず悪い。メールを送り、コラムをひたすら書き続けた。朝7時30分に集合し、チーム分けとなった。
昨晩、5男が蜘蛛に刺されたようで、顔が腫れあがっていた。5男以外は、かすり傷程度で、皆幸い元気であった。僕らは、テニス・コートとバスケット・コートの修復チームにアサインされた。初めてペンキ塗り以外の仕事へのアサインだ。
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2010年8月10日 (火)
| 日本人・アジア人・地球人 | アフリカにおける国際奉仕活動への参加報告~(3)労働奉仕の意味合いとは? |
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プロジェクト3日目の朝を迎えた。いつものように朝6時にモーニング・コールが鳴った。筋肉痛と旅の疲れからか、まだ体がダルかった。朝6時半から朝食をとり、朝7時半に集合した。本日は、僕が四男と五男、妻が長男から三男とチームを組んだ。僕らは、トイレ担当となり、妻達は、孤児チームに所属することとなった。
「孤児チーム」とは、250人いる孤児達のうち、高学年の生徒100名程度を対象としたプロジェクトだ。彼らは、家庭内暴力の対象となったり、両親の資産を失ったり、ときには性的嫌がらせを親族から受けたりすることがあるという。従い、自分達がおかれた境遇に敏感になっているので、このプロジェクトでは、「孤児(Orphans)」という言葉を使わずに、「傷つきやすい子供(Vulnerable Children)」という表現を使っていた(但し、このコラムでは「孤児」という言葉を引き続き使わせてもらうことにする)。
今回の孤児チームの使命は、休みの間に登校してきた孤児達とともに、「思い出本(Memory Book)」を作ることだ。孤児たちは、精神的障害などから自分の記憶を失う場合があったり、大人になるにつれ、アイデンティティを失ったりすることがあると言う。その彼らから、現時点で知りうるかぎりの自分の生い立ちや家族構成などを思い出してもらい、自らの生きてきた証(あかし)として記録を残すプロジェクトだ。
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2010年8月 9日 (月)
| 日本人・アジア人・地球人 | アフリカにおける国際奉仕活動への参加報告~(2)良い教育環境を子供たちに |
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朝6時にモーニングコールが鳴る。朝6時半から7時15分まで朝食をとり、朝7時30分に集合する。そして、自分の仕事がアサインされる。このルーチンが、4日間続くことになる。
今回のプロジェクトでは、参加者は7つのチームに分かれる。トイレチーム、教室チーム、幼稚園チーム、テニスコートチーム、孤児チーム等に10人ずつ分かれるのである。僕は、長男から3男までと同じ教室チームにアサインされた。妻と4男・5男は、幼稚園チームだ。
水や菓子が入っている茶色の紙包みを受け取り、チーム単位でバスに搭乗する。10分ほどバスに揺られて、小学校に到着した。青い制服を着た生徒たちが僕らを迎えてくれた。「制服だけは皆が着ることを要求されるので着てくるが、各家庭の経済環境は良くない」とのオリエンテーションでの説明が、頭をよぎる。
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2010年8月 9日 (月)
| 日本人・アジア人・地球人 | アフリカにおける国際奉仕活動への参加報告~(1)小学校復興プロジェクト始動 |
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「アフリカにおける国際奉仕活動~小学校復興プロジェクト参加者募集」というイベント告知をYPO(Young Presidents’ Organization)という世界的な経営者のネットワークのウェブサイトで発見した。時期も8月5日から10日で、ちょうど子供達の囲碁の全国大会の後である。妻にそのURLを送り、どうしようかと打診した。「こういうのに家族で参加するのもいいかもね」という返答をもらい、早速家族全員で参加申し込みをした。
囲碁の全国大会が終わった翌日の8月3日の夕方4時に自宅を出て、家族7人で成田からシンガポールに7時間かけて南下し、2時間のトランジットで、シンガポールから11時間かけてインド洋を超えてヨハネスブルグに飛んだ。ヨハネスブルグで4時間の待ち合わせをして、ジンバブエの空港に向かった。ジンバブエの空港に着いたのは、現地時間の14時過ぎ、ホテルに着いたのは15時過ぎであった。時差7時間を考えると、自宅を出てから現地に到着するまで、30時間かかった計算となる。
続きを読む……“アフリカにおける国際奉仕活動への参加報告~(1)小学校復興プロジェクト始動”
2010年7月 5日 (月)
いよいよグロービスMBAの在校生と卒業生を対象とした泊り込みのコンファレンスである「あすか会議」が始まる。この週末は、大学院が東名阪の3キャンパスとも全て休みとなり、学生、教員、スタッフ、そしてゲスト・スピーカーとともに山に籠り学ぶ予定となっていた。グロービスの年中行事となった「あすか会議」には、今年も凄いメンバーが集うことになっていた。
続きを読む……“あすか会議2010~志士達の伝説がここから生まれる”
2010年6月 7日 (月)
問題発言のパネルの翌日の朝、ライフネット生命保険の岩瀬副社長からメールが届いた。マーク・デュレイ氏のメールアドレスを世界経済フォーラムのウェブサイトより入手して、転送してくれたのだ。僕は、早速デュレイ氏に以下メールを打った。
Mr. Du Ree,
I have written the following tweet at twitter and written a blog in Japanese.
>Mr. Mark Du Ree, CEO of Adecco Japan said "Japanese youth has no values" at WEF EA Summit.He owes an apology to Japanese youth.
I was at the panel listening to your comments yesterday.
I felt your remark was of a very one sided view with over generalization. Most of the Japanese people I informed are angry at your remark. I would like to hear your views on this.
Yoshi
彼から、一時間後に返答が入り、ランチタイムに会うことになった。
続きを読む……“国際社会と日本社会の価値観の違い~その2)謝罪、和解、そして誓い”
2010年6月 7日 (月)
雨のホーチミン。バイクがうごめき、クラクションが鳴り響く。バイクをよく見ると、男女のカップルが多い。後の女性の乗り方で二人の親密度がわかる。
ダボス会議を運営する世界経済フォーラム(WEF)が主催する「東アジア経済サミット」が開幕した。ホテル・ウーマンの水色のアオザイが、映える中、ホテルにチェックインし、会場に向かう。親しい友人と握手をして再会を喜び、日本から来た仲間とも会釈をする。会場は、ホテルのワンフロアで、比較的小ぢんまりとしている。その会議で、大きな問題発言が飛び出した。
続きを読む……“国際社会と日本社会の価値観の違い~その1)東アジア経済サミットでの問題発言に思う”
2010年5月12日 (水)
| 日本人・アジア人・地球人 | タンザニア旅行記(出張記)~7)タンザニアの歴史と文化を旅する |
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会議が終わり、車に乗りこみ、スーツを脱ぎ、ネクタイをとり、シャツのボタンを外す。短パンとポロシャツに着替え、カジュアルな靴に履き替えた。昨日のダル・エス・サラーム空港から世界経済フォーラムの移動時とは、真逆の着替えのパターンだ。パネルがうまくいき、カジュアルな服装になると、達成感と解放感が重なり、ついつい、「終わった! 良かった!! 褒められた!!! 嬉しい!!!!」と呟いてしまっていた。
車の目的地は、インド洋に面したバガモヨである。ちょっと不思議な語感があるこの地は、19世紀までアラブ人による黒人奴隷貿易の集積地だったところである。「我心ここに残す」を意味するこの言葉「バガモヨ」を叫び、黒人の奴隷たちは、近くのザンジバル島経由で、アラブ各地に売られていったと言う。その奴隷たちのその後の人生を思うと、暗澹たる気持ちになる。
アラブ人が開拓したこの地に、19世紀後半にドイツ人が総統府を築き、第一次世界大戦中の1916年に英国人が引き継いだ。1964年のタンザニアの独立後、バガモヨは現地人の手に戻った。ドイツ時代の税関跡地の横に、アラブ時代の奴隷集積地の遺跡が海に面して残っていた。浜辺では、100年以上も変っていないようなハシケの様な古い船から、現地人が積み荷の上げ下げをしている姿が目に映った。現地人が服装のまま、遠浅の海を荷物を持ち行き来する姿が、昔の姿と重なり、暗い気持ちになる。
グルッと散策するが、他には観光客は見当たらない。現地人の目線が気になる。車に戻り、バガモヨのメインストリート(とは言え、車が一台やっと通れるほどの道)を走る。ドイツ時代の総統府の遺跡が残るその道は、「カイザー・ストリート」、「キング・ストリート」と宗主国が変わるたびに名前を変え、今は海の名前を取り、「インド・ストリート」と呼ばれている。
車は、インド・ストリートをゆっくりと走り、海岸方向にハンドルを切った。そこに、小洒落たリゾートホテルがあったので、車を止め中に入ってみた。
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2010年5月11日 (火)
| 日本人・アジア人・地球人 | タンザニア旅行記(出張記)~その6)アフリカよ、己の強さに気付け! |
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「今からホテルを出る。本日いよいよタンザニアの地で、世界経済フォーラム主催の会議のパネルに参加する。準備も終わった。あとは、本番で堂々と喋るだけだ。日本人唯一の登壇者だ。日本代表の気持ちでいながらも、リラックスして参加したい」。
ツイッターでそう呟いて、ホテルの部屋を後にした。前日から、グロービスのリサーチ・スタッフ総動員で、必要なデータの収集を行ってもらっていた。自分なりに話す内容を決め、そのロジックに従い、スピーチメモも作成した。
自分の得意分野の起業や人材育成について喋るならば、気が楽だ。だが、今回はそうではない。「発展途上国企業の成長戦略」など経験もないし、考えたことも無い。何せサブサハラに来るのも初めてなのだ。しかも、言語は英語で、聴衆は半分以上が現地の事情に詳しいアフリカ人だ。さすがの僕も、緊張してきた。
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2010年5月10日 (月)
| 日本人・アジア人・地球人 | タンザニア旅行記(出張記)~その5)日本の存在感をアフリカの地で上げる |
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世界経済フォーラム主催のアフリカ経済サミットの会場に着いた。セキュリティを経て、パスポートを提示し、名札とプログラムや名簿を受け取り、会議に参加した。
「アフリカ経済成長」に関するセッションに途中から参加した。休憩を挟み、「電力のインフラ」に関するセッションにジョインした。パネルを耳で聞きながら、プログラムや名簿に目を通す。遅れてきた分を取り戻し、これからの予定を確認し、出席している参加者などを確認した。状況が分かり始め、やっと頭が切り替わりつつあった。僕は、パネルを聞きながら、明日のパネルのイメージを膨らますことにした。
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