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2006年5月 9日 (火)

個人 ブータン旅行記Ⅳ -ブータンの首都ティンブーへ

朝、鳥の鳴き声で目が覚める。プナカは、鳥の数も多いのか、ことのほか鳴き声が大きく聴こえる。

起きてすぐに、「レイキ・マッサージ」を受けた。説明文には、「レイキとは、日本の言葉(霊気)で、インドのテクニックを使い、ブータンのマッサージ師が施します。体の中にエネルギーを注入して、心身の健康を促します」と 書いてあった。この説明文に関心を持ち、初めてレイキの施しを受けることにした。

僕が上向けに横たわり、マッサージ師が手のひらを当てる。首から始まり足まで30分にわたって施してもらった。「マッサージ」と書いてはあるが、ハンド・パワーを使ったヒーリングのようなものであった。

最後には、グーグー寝てしまった。そのマッサージ師(ヒーラー?)いわく、「寝るということは、エネルギーがよく注入されていることの証だ」、と。本 当かどうかはわからない。ただ言えることは、マッサージによって体がほぐされた感覚とは違う爽快感が得られる、ということだ。体が暖まった気がした。

「エネルギー注入でお金がもらえるならば、エネルギー単価あたりの値段は計算できるのかなぁ」。「もしも、僕がスピーチをして、『元気が出た』、『エネルギーをもらった気がする』、というコメントがあったら、僕は、ヒーラー になれるのか?」、なんてことを考えながら、部屋に戻り、荷物をまとめた。

朝食は、アウトドアでヨーグルトとフルーツサラダを頂いた。普段は朝飯抜きの生活をしているが、「ブータンは、ヨーグルトが美味しい」とガイドブックに書いてあったので、どうしても試してみたくなったのだ。確かに、美味しい。夕食時に食べるブータン産のブルーチーズやバターも美味しかった。「ここは、スイスなのか。であれば、スイス的な発展はできないのか」、何てことを一人考えながら、朝食を済ませた。

ニドゥが迎えに来て、ブータンの首都ディンプーに向かうこととした。今度は、3時間半の移動だ。昨日訪問したプナカ・ゾンの横を抜け、二つの川の合流地点に差し掛かった。濃い緑と白茶色の二つの違う水の色が合流して、暫くの間二つの帯をつくりながら、ゆるやかに流れていた。

昨日来た道を、戻ることになった。山を一時間半ほどで登り、峠で休憩をした。昨日よりも確かに雲が多いが、ヒマラヤ連峰の雄大さは変わらなかった。二日連続で、ヒマラヤ連峰を拝めたことを感謝して、山を降りた。そして、ブータンの首都のティンプーに向かった。

山の谷間を通る車の窓からは、棚田や畑の風景の中に、農家がぽつん・ぽつん と立っているのが見てとれた。ブータンでは、釘を使わない伝統様式で建物を創ることが義務付けられている。車の窓から見える家は、一昨日食事をした農家と同様に、直方体で一様に大きい。白い壁と模様がついた木の窓枠や、吹き抜けになっている屋根裏が特徴的である。ブータンの景色は、どこに行っても同じものである。だが、ティンプーに来ると様変わりする。

全てが伝統様式で創られているものの、大きな建物が目に付くようになる。工場、大学、病院、軍隊、警察署などである。人口は5万人程度ではあるが、都会らしさを感じさせられた。核家族化が進みアパートも増え始めている、という。

土曜日のお昼時なので、高校生の下校時刻と重なった。皆、民族衣装の制服を身をまとっていた。男性の衣装は、『ゴ』と呼ばれ、日本の着物に似ているが、ひざまでたくし上げて着る。女性は、『キラ』と呼ばれる着物に、『チェゴ』というものを羽織る。この着物(キラ)と羽織(チェゴ)の色や素材で、各高校の制服を見分けることができる。

着物(キラ)は、緑とかオレンジが主流のようで、羽織(チェゴ)が青のものもあり、美しい。文教地区を通ったからか、公立や私立の高校が集積しており、色とりどりの服装が見えて美しい。パロやプナカでは見られなかったが、男女がカップルで仲よさそうに下校する姿が見られた。都会だから、多少ませているのであろう。

眼下に、ブータンで初めての片側二車線の整備された道路が見えた。首都から空港までの移動時間を短縮するために、建設中だそうだ。道路も増えてはいるが、信号機は未だ無いという。一度つくったが不評だったので撤去し、今は警察官が手で誘導している。市内では、インド系の大きなホテルが建設中であった。ブータン国内で、このホテルが、ゾン以外では一番大きな建物であるという。

近代化や国際化が進んでいくのを見るのは、ちょっと複雑な気持ちになる。日本が、140年前に進めた近代化の中で、失ったものも多いと思う。ブータン国王は、諸外国を見たうえで入国制限を設け、伝統様式以外の建築物は認めず、民族衣装の着用も義務化して、ブータン人としてのアイデンティティを失わないように努力をしていると言う。「GDPよりもGNH(グロス・ナショナル・ハッピネス)」を提唱する国王らしい。ただ、この近代化の波は、明らかにブータンを変えていくであろう。

宿に入り、急いで昼食をとり、すぐに外出することにした。行き先は、ティンブー北部に位置するチェリ寺院群である。皇太子殿下(当時は浩宮殿下)が、1987年に訪問されたと言う、由緒あるお寺である。

45分ほど車に揺られ、寺の参堂に着いた。伝統様式の橋を渡り、また山登りだ。一昨日訪問したタクツァン寺院と違い、チェリ寺院参堂には、殆ど訪問客と出会わなかった。30分ほど登り続けると、小さなお寺が見えてきた。標高 2800Mのこの地には、ブータン国家を統一したシャブドゥンが1620年に初めて建てたお寺が静かに鎮座していた。

方角的には、首都ティンブーの真北にあたり、ちょうど江戸の真北にある日光のように、山の上から首都を擁護しているかのようであった。景色も絶品である。両脇に山が連なっている。谷間を北に向かうとチベットに到るという。首都ティンプーが谷間の要衝に位置することがよくわかった。

僧侶に、お寺の中に入れてもらう。ブータン国家を統一したシャブドゥンが3年間瞑想した場所に辿りついた。小さな部屋である。1616年にチベットから 来たシャブドゥンは、ここで3年間瞑想したという。当初はチベットに戻ろうとしたが、啓示を受けて、「ブータン国を統一して、ブータン国の人のため世の為に尽くそう」、と決めたのだという。シャブドゥンの父親の位牌も納められているという。ここは、ブータンにとっては、まさに聖地の中の聖地なのである。

座禅を組むと、確かに流れてくるエネルギーの強さを感じる。レイキのせいだろうか、エネルギーを感じやすくなっているような気がする。寺院を見上げると、いくつかの瞑想用の小さな建物が見て取れた。この地は、瞑想場となっているらしい。ブータンの宗教界のトップを勤めた高僧が、引退後13年間にわたり、瞑想をしている最中であるという。13年間もである。

1時間ほどゆっくりと滞在させてもらった。帰り道に、若い高僧に出会った。 30歳ぐらいの方であろうか、今まで見た僧侶の中で最も高貴で、落ち着きを感じる表情をしていた。柔和な顔つき、大きな耳、微笑みをたたえた口元、逞しい体。精神を磨き上げられた人のみかが持ちうる、穏やかな顔立ちをしていた。「プナカ・ゾンで、修行僧の教育を担当するヘッドであるが、瞑想をしている方のお世話をしに、チェリ寺院に来ている」、とニドゥが説明してくれた。気品が漂う方だ。「この方が、将来のブータンの宗教界を引っ張っていくに違いない」、と直感した。一言二言挨拶をして、握手をした。

宿に戻るともう17時過ぎであった。今日は土曜日なので、メールチェックをする必要が無い。パソコンを開かなくて良いので、しばし昼寝をして夜に備 えることにした。この日の夜には、ガイドのニドゥと運転手のセレンと一緒に、ディスコに行く約束をしていたのである(海外ではクラブと言っても通じないので、ディスコと呼ぶようにしている)。

僕は、新しい土地に行くと、二つのことをしたくなる。一つは、その地の自然を知るために、泳ぐようにしている。その地で泳ぐと、大自然と一体化されている感じがするからだ(とは言うものの、本当は「ただ単に泳ぎたいのだ け」、なのであろう。

もう一つが、その地の人々と交流するために、ディスコに行くようにしている。踊りは、万国共通のコミュニケーション手段である。そこに行くと、若者 気質やファッション等がわかり、その国の将来の姿が見えるような気がしてい るからだ。どの国でも一番流行っているディスコを探しだし、行くことにしてきた。結果的には、アジアの殆どの国のディスコには行ったような気がしている(とは言うものの、本当は「ただ単に楽しみたいだけ」なのであろう)。

ティンプーでディスコに行くことは、旅の始めのころより、ニドゥとセレンと約束していたのだ。車中で、色々と会話をしているときに、「ブータンでは、 若者はどうやって遊ぶのか」、と質問したことがあった。ニドゥやセレンの答えは、「映画館に行ったり、ビリヤードをしたり、ディスコに行く」、のだという。そこで、「僕もディスコに連れて行ってくれ」、ということになった。「ディスコはパロとティンブーにしかなく、しかも週末にしかやっていない」、という。幸運にも土曜日の夜に首都のティンブーで一晩を過ごすことになったので、夜出かけることとなっていたのだ。

夜9時30分に、ニドゥが宿に迎えに来てくれた。初めて見るニドゥとセレンの私服姿である。彼らは、「ウェスタン・スタイル(西洋風)」という表現をしてりる格好だ。夜になると民族衣装を着る必要は無いのだという。ニドゥは、29歳で独身。セレンは24歳で、結婚して4歳の息子がいるらしい。セ レンは、今住んでいるパロでよくディスコに行くという今風の若者である。ニドゥは、5人兄弟の長男らしく、真面目で厳格な雰囲気を持つ人だ。

「ディスコは、夜10時30分過ぎると盛り上がる」、というので、ティンブーで一番最先端と言われているバーに立ち寄った。そこでは、テレビやスクリーンが設置してあったが、どうみても洗練されている感じではない。スクリーンからは、米国の黒人コメディアンのショーが流れていた。

ブータンの学校では、国語以外は全て英語で教育されるので、皆英語をよく理解している。二人とも、僕よりも黒人のジョークを理解しているようだった。でも、「バーは会話する場所で、ビデオを見る場では無い」、と思うので、僕はニドゥを促して、早めにディスコに向かうことにした。

ディスコに入った。カバーチャージは、150ヌルタン。約400円弱である。ドリンクは、一杯100円強である。ニドゥやセレンは、ビールで、僕はジントニックを注文した。使い捨てポリエチレンの小さいペナペナなコップの中には、なぜだか間違ってジンライムが入っていた。ディスコの中は、暗いの に、ミラーボールと鏡があった。内装は、ディスコとクラブの中間という感じであった。

音楽は、オールディーズ(80‘s)の音楽を今風にアレンジした曲が多かった。僕は、ペナペナなコップを片手に早速踊り始めた。客も段々増えてきた。暫くして、あの真面目なニドゥが、酔いも手伝い気持ちが良くなったのか、近くに来た女性客ペアに声をかけていた。暫くして、セレンと僕にその二人を紹介してくれた。可愛い子である。

大音響の中で、踊りながら会話をトライしてみた。一人はギャン、17歳である。顔立ちはインドとチベットのハイブリッド風で、肌は多少色黒で、髪の毛は長いストレートでもエキゾティックな雰囲気を漂わせていた。もう一人がリン、19才である。北アジア系が入っていて色白でぽっちゃりとしたタイプで、髪の毛もふんわりとしていた。

僕は、17歳のギャンと踊りながら、一言・二言会話をトライしてみた。「17歳ということは、まだ高校生なの?」と聞いたら、「そうだ」と答えてきた。「じゃ、あの制服を着て今日も学校に行ったのか?」と聞くと、「そうだ」 と答えて来た。ギャンは、何と高校生で、本日も昼まであの民族衣装のキラを着て学校に行っていたというのだ。もしかしたら、今日の昼間すれ違っていたかもしれない。「高校生なのに、こんなところに来てもいいの?」と聞いたら、「ダメだよ」という答えたが返ってきた。万国どこに行っても女子高生は、こんなものなんだろう。

僕は、それ以上何も喋らずに、踊りを楽しむことにした。ギャンは、踊りも抜群に上手い。暫くして、なぜだか隣に男性が踊っているのに気がついた。「お兄様です」、とギャンが紹介してくれた。髪の毛が長くて今風の顔立ちのイケメンであった。本当にお兄さんかどうかは疑わしいが、あまり気にせずに、一緒に踊ることにした。

不思議な組み合わせで、ギャン、リン、ギャンの兄と一緒に暫く踊り続けた。 踊っていると、瞑想(トランス)状態に入ると言われているが、確かにそういうこともあるような気がする。

結局2時間ノンストップで踊り続けた。昼間に山登りをした足を、夜はディスコで更に疲れさせている。でも、踊っていると不思議と疲れを感じないのが不思議である。レイキではないが、音楽からエネルギーをもらっているのだろうか。

時計が12時を回った頃に、ギャン、リンとギャンのお兄さんとに別れを告げて、宿に戻った。ブータンのディスコは、夜中の2時まで開いているらしい。

ホテルへの道すがら、ほろ酔い気分になったニドゥから、「今まで日本人を何人かお世話をしてきたが、今回初めて楽しいと思えたよ」と告げられた。僕は、日本人として喜んでよいのかどうかは微妙だったが、酔った気分に任せて、「ありがとう」と答えながら、ニドゥとハイタッチをした。

ニドゥとの距離が近ついたと感じた瞬間であった。


2006年5月2日
(ディンブーのことを思い出しながら)
自宅にて執筆
堀義人

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