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2009年8月22日 (土)

日本人・アジア人・地球人 政治家の友達を応援する旅〜(1)衆議院選挙2009の風景

※「政治家の友達を応援する旅」本文は、公職選挙法に抵触する恐れがありましたので、8月17日の夜、つまり衆議院選公示前夜より開票まで、一旦非公開としておりました。ご迷惑をおかけいたしました。

新幹線を西明石の駅で降り立ち、東海道線を一駅戻り、明石駅で下車する。そこからタクシーに乗り、明石大橋が見渡せる瀬戸内海沿いのイタリアン・レストランに向かった。ここで、衆議院議員の西村やすとし氏の後援会が開かれるのである。その日から二日以上かけて、京都、名古屋、水戸、鎌倉、そして立川へと友達政治家の応援行脚の旅が始まるのである。

僕は、衆議院が解散した後に、友人であり且つ政治信条的に共感している政治家の方々を応援すべく、夏休みを短縮して、日本各地を訪問することを考えついたのである。「僕が、応援に行っても何の足しにもならないであろう」、とは思ったものの、友達が応援に来てくれたら、それだけで多少は励みになるのではないかと考え直し、とりあえず親しい政治家の応援に向かうことにしたのである。

僕は、以前より考え続けていたことがある。それは、「民間の立場でどうやって政治に関わり、日本を良くすることに貢献できるであろうか」、ということだ。当然、「選挙に行く」、というのは、国民としては最低限の義務だと思っている。さらには、安倍晋三元首相から言われた、「自分の考えを表明すること」も、良い方法であると思っていた。そして、もう一つの良い方法は、「政治的に考え方が近い、良い政治家の方々を積極的に応援し、国政に送り出すこと」だ、と思っている。

「民間人は、政治的に中立であるべきだ」、という意見をよく聞く。政治に深入りして、負けた場合に、いじめられたりするのが怖いからであろうか。僕は、そもそも政党を応援する気はないのである。自民、民主、みんなの党ほか、どの政党であろうとも応援しないのだ。当然どの党の党員にもなっていない。僕は、ただ単に、政治家個人を支援することにしている。そうすれば、どの党が政権を獲ったとしても、良い政治家がその党の中枢にいさえすれば、日本が良い方向に行くよう舵を切ってくれるあろうと信じているからである。

この考えに至ったのは、ベンチャー・キャピタル事業で合弁を組んだ欧米のエイパックス社のパートナーに接してからである。米国在のアラン・パトリコフ氏は、積極的にクリントンご夫妻を応援していた。英国在のロナルド・コーエン氏は、トニー・ブレア氏やゴードン・ブラウン氏を積極的に応援しているのである。それも一切隠すことなく、オープンに自分の立場を表明して応援しているのが、とても新鮮に映ったものである。双方とも友達のような関係で政治家とお付き合いしているのである。民間人と政治家との付き合い方の一つのモデルを見た感じがした。

僕は、それ以来、良い政治家の方々を積極的に応援することにしてきた。とは言っても、資金的に余裕があるわけでは無いので、パーティ券をごく少数買う程度である。資金面よりも、むしろ個人の後援会に入ったり、友人を紹介したり、勉強会を共催したり、イベントに招へいしたりという関係であった。どちらかと言えば、「友人としてお付き合いさせてもらっている」、と言った方が実態には近いかもしれない。逆に言えば、友人としてお付き合いできる同世代の方々のみを積極的に、現時点では応援している、と言えよう。つまり、「友達なんだから、友達として応援に行くのは当然である」、という感覚である。

まずは、8月5日の午後に明石に向かい、夜8時から西村やすとし氏の地元後援会との交流会に参加した。西村さんと僕とは、昭和37年の同じ寅年生まれである。かれこれ出会ってから、もう15年以上お付き合いをしている仲間である。僕が30代前半にグロービスを立ち上げて間もないころに、西村さんと出会い、二人で飲みに行く機会があった。西村さんは、その当時は通産省のお役人であった。僕は、彼に「将来何をするの?」と何気なく聞いてみたら、彼は、「政治家になるんだ」と言う答えが返ってきた。僕は、「そうなったら、僕が後援会長をやるよ」とお酒を酌み交わしながら気楽に話をしていた。そのことを西村さんは良く覚えていて、政治家になったあとに、僕は彼の要請に従い、東京後援会(康風会)の会長を務めることになったのである。

今回の企画は、東京後援会長の僕が、明石に入り、地元の後援会の方々と交流をするというものなのである。僕からは、西村氏の東京での活躍の様子、どのような人々が応援をしているのか、などを地元の後援会の方々に熱く説明した。そして、「ゆくゆくは、必ず大臣、そして総理大臣になる方なので、是非とも西村やすとし氏を選挙に勝利させるべく、みなさんのご支援をお願いします」、と、演説のようなことを行って、その交流会を締めくくった。僕は、地元にいないので、選挙の応援はできない。できることは西村氏を応援してくれている方々を激励することだけなのである。

その晩は、夜10時過ぎに閉会となり、その日のうちに京都に移動することにした。東海道線の快速で神戸、大阪を横断し、京都まで結局2時間弱もかかってしまった。

翌朝は、京都のホテルで泳ぎをしたあとに、京阪電車、京福電鉄叡山線を乗り継いで、修学院にある前原誠司氏の事務所に向かった。ここは、僕が大学時代に通っていた京大の“縄張り”であった。友達もこのあたりに多く下宿していた。二両編成の叡山線に乗るととても懐かしい思いがした。

無人の修学院駅を降りると、目の前に前原誠司事務所の赤い看板が飛び込んできた。僕は、近くのスーパーに出向き、ウーロン茶やポカリスエットなどのソフトドリンクを持てるだけ買い込んで、事務所に向かった。前原さんは、早朝に街頭演説を終えて、事務所に戻ってこられていた。奥様もご一緒であった。

前原ご夫妻とも15年以上のお付き合いをさせてもらっている。前原さんが結婚する前から別々にお二人を知っていたので、二人が結婚をすると聞いてビックリしたものである。僕の妻と前原さんの奥様とも同い年で、前原さんが結婚する前の職場が一緒だったので、とても親しいのである。前原さんが民主党党首を退任されたあとに、4人で食事をしたのが、とても良い思い出となっていた。

前原さんの事務所でご夫妻と20分ほどお話をして、「選挙がんばってください」と握手をして、その事務所をあとにした。応援をしに行ったのか、邪魔をしに行ったのかは、よくわからなかったが、友達に会えて気分が良くなった。そのまま京福電鉄、京阪と乗り継ぎ、京都駅に向かった。

京都駅から名古屋駅まで新幹線で移動して、地下鉄の東山線に乗り、次の目的地である千種区池下にある古川元久事務所への訪問である。古川さんとは、ここ10年近くダボス会議などの国際会議の場で会う、同志なのである。国際会議に行くたびに痛感するのは、日本の存在感の低下である。そこで、同志の一人である古川さんが政治家の立場で、僕はビジネスパーソンの立場で、積極的に活動をすることになる。古川さんは、テーブル・フォー・ツーというNPOの活動を、一昨年の大連のサマーダボスで記者発表するなど海外でも存在感を発揮していた。

予定よりも早く古川事務所に着いた。前原さんの時と同様に、持てるだけのソフトドリンクを買って差し入れをした。暑い選挙戦のさ中、これが一番だろうと思い、各事務所で持てるだけのドリンクを心ばかりの気持ちとしてお渡しすることにしていた。暫くして古川さんが来られた。昼飯時だったので、名古屋名物のまぶし丼がおいしいお店に連れて行ってもらった。今回は、民主党に風が吹いているし、名古屋は民主党が強い地盤でもあるので、多少は時間的ゆとりがあるようであった。選挙での健闘を祈り、事務所をあとにした。僕が歩いて角に到達するまで事務所前で立って見送ってくれた。僕は、恐縮しながら、小走りで駅に向かった。

新幹線の発車時刻まで間があったので、名古屋駅前にあるグロービス名古屋校に立ち寄ることにした。そこで溜まっていた大量のメールに返信をして、スタッフと談笑をして、駆け足で名古屋駅に戻り、東京行きののぞみに飛び乗った。そして、東京駅から山手線に乗り換え、上野駅でスーパーひたちに搭乗した。目的地は、僕のふるさとでもある、水戸市である。

水戸の選挙区からは、福島のぶゆき氏が出馬している。過去二度参戦し、二度涙を呑んでいた。相手は、赤城徳彦氏である。あの、「ばんそうこう王子」と言われた元農水大臣である。世襲議員でもある赤城氏は、強力な地盤も引き継いでいた。一方の福島氏は、地盤が無い中で保守王国の茨城の選挙区に挑戦してきたのである。福島氏は、僕の水戸一高の後輩でもあるし、通産省時代から知っている仲間である。一緒に、台湾にも訪問し、李登輝氏とも会食をしている。

だが、過去二回の選挙では、お世話になった自民党の狩野安元参議院議員の手前、応援を手控えてきた。前回の参議院選挙で狩野さんが引退されたので、今回は、相手方にもしっかりと仁義を切り、福島氏を応援することにしたのである。

夕方18時過ぎに、水戸駅にスーパーひたちが着き、水戸市議会議員の川崎アツシ氏の出迎えだ。川崎氏は将来の水戸市長になると思う人物であった。彼の運転で、講演会の会場に向かった。僕が着くなり、すぐに講演会が始まった。テーマは、「ふるさと水戸の再生」であった。

水戸の中心街は、本当にサビれていた。涙が出るほど悲しい惨状である。水戸駅から伸びるメインストリートから、デパート・スーパーを含め、6店舗撤退したのである。西武、高島屋、ダイエー、東急、伊勢甚(ジャスコ系)などである。唯一残っているのが、京成と丸井だけである。その空いた建物は、空き地になっているか、幽霊ビルのまま残っているのである。そこに、100円ショップなど安売りの新業態が来ると当然、景観が変わる。それでも幽霊ビルよりよっぽど良いのだが、それらすら来ないようである。だからこそ、メインストリートには活気がなくなったまま、幽霊ビルが放置された状態なのである。

今は、水戸バイパス沿いのロードサイド店が活況を呈している。茨城県庁がお堀端の市街地のど真ん中から移転したことも空洞化を進ませた一因であるという。間違った施策によって、悪化する典型である。その水戸市を再生しなければならないのだ。ただ、人材の流出が激しく、容易ではない。

僕の出身校である水戸一高の卒業生のうち、1/4〜1/5程度しか水戸に残らないという。東京の大学や京大などの旧帝大に進学したまま、ほとんど戻ってこないのだと言う。水戸に残るのは、学校の先生、県庁・市役所の役人と常陽銀行の銀行マン程度だという。実際、僕の親しい友達は、ほとんど東京で勤めている。そういう僕も、東京在住で、水戸に帰っていない。このふるさと水戸の再生をどうするかが一つのテーマとなっていた。

議論の中身は、ここでは割愛して別の機会に譲ることとしたいが、一つ驚いた事実を耳にしたので紹介しよう。生活保護のことである。会場の年配の方からの発言であるが、「不動産を経営している友人から話を聞いたのだが、生活保護を受ける若者によく出会うと言う。役所から指導を受けるのか、生活保護を受けるには両親と同居していると受けられないからわざと別居していると言う。さらに、結婚している夫婦の場合には、貯金を持っていると受けられないから、わざわざ旅行をして貯金を使い果たしてから、生活保護を受けるのだと言う。さらに、不動産を経営している立場から見ると、生活保護を受けている人の方が収入が確実に入ってくるから(貸借などするにあたって)安心なのである、と言うのである。何かが間違ってるという気がしてならない」、と。

農業の個別所得補償制度も、中小企業の減税などにしても、支援をしようと思えば思うほど、自助努力の精神が失われていくのではないかと思う。二宮尊徳がかつて、こう言っていた。

「金銭を下付したり、税を免除する方法では、この困窮を救えないでしょう。まことに救済する秘訣は、彼らに与える金銭的援助をことごとく断ち切る事です。かような援助は、貧欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こすもとです。荒地は荒地自身のもつ資力によって開発されなければならず、貧困は自力で立ち直らせなくてはなりません」(『代表的日本人』内村鑑三著より)

金銭的な援助は、自立する精神を奪い去ってしまうのだ。心を鬼にして子供に試練を与えるように、政治家も愛情を持ちながらも勇気を持って支援を断ち切る必要がある。当然、既得権益を奪われるものは不平不満を言い、死に物狂いで抵抗するであろう。でも、それをやらないと、みんなが、「もっと支援してくれ。どうして僕らにはくれないんだ」と要求合戦をすることになるであろう。弱者を救済し、強者に厳しく当たれば、皆が弱者となるべく競争するであろう。これでは、日本の再生はおぼつかないのである。

「格差社会」と言うが、努力の違いがあるのだから、その結果として格差があるのは当然なのである。結果の格差よりも、努力の格差に目を向けるべきではないか。努力をしていない弱者に、手を差し伸べる必要は無いと思う。また、努力をしないことを優遇するような施策は、日本を滅ぼす結果を生むことになろう。二宮尊徳のお言葉のとおり、「支援を断ち切る」ことが重要なのである。

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