起業家の冒言(オピニオン) 起業家の冒言 一覧へ

2010年3月16日 (火)

政治・社会 「評論知」と「実践知」

子供の教育を考える〜長男の中学受験に思う」のコラムを書いた後に、教育に関して、ツイッターやブログで多くの意見が交わされた。

多くの意見を読むうち、ふと思ったのが、評論的な論調と実践的な論調の違いについてである。評論的な論調は、第三者的に、「あの教育が良くない」「これが問題だ」と批判、評論する手法である。これは、読んでいて面白い点はあるが、実際に事を行う者には示唆を与えない。

なぜならば、僕らが知りたいのは、「どうすれば良いのか?」に向かう議論であって、何が良いとか悪いとかではないからだ。学者的、あるいは批評家的なアプローチでは、えてしてリアリティを欠き、観念的になってしまい、参考にならないケースが多い。

実践的な知というのは、自らの体験や多くの意見・事例をもとに、様々な選択肢を上げて、その中の長所・短所を分析して、「どうすれば良いのか」を論じるものである。例えば子供の教育の場合には、「問題点が多い。正解も無い。でも、子供に教育を授ければならない。さあ、どうしようか」と考える先にあるのが、実践的な知である。子供のために具体的かつ当事者意識を持って真剣に考えることから、実践的な知恵のレベルに到達するのである。さもないと、第三者的、観念的な無責任な意見で終わってしまう。これが、僕が言う、「評論知」と「実践知」の違いである。

そして、更に一番参考になるのは、「こうやった結果、こうなった。僕の反省点は、こうだから次に続く方には、こうした方が良いよ」と体験に基づくアドバイスを与えることであろう。つまり、実践に基づく知恵のフィードバックである。

グロービス経営大学院で扱う、ケースメソッドも同様の考え方である。経営の良し悪しを論じても仕方が無いのである。「あなたが経営者であれば、どう考えますか」と自らが実践者の立場になり、真剣に考えることが重要なのだ。「問題があっても、矛盾があっても、前に進まなければならない。さあ、どうしようか」、である。完璧に良い選択肢などないのだ。その中で、どちらが一番良いかを考えることが重要である。

高校までの教育は、論理展開力、数学的能力、言語処理能力に主眼が置かれるが、大学からの高等教育は、正解が無い世界で最善の解を求める手法を学ぶ。社会には、正解などないのだ。この複雑多岐な社会の中で、自らの頭で考え、自分なりの正解を求める手法を学ぶのが、高等教育である。実践知というのは、突き詰めて考えれば、どのように生きていくのかを考える手法を学ぶことでもある。

森信三氏は、『修身教授録』の中でこう述べている。「学者は、細部にわたる研究もしなければなりませんが、実践家の読書は、大観の見識を養うための活読、心読であって、その点実践家の読書の方が自在とも言えましょう」。

実践者にとっては、細部などどうでもいい場合があるのだ。大枠を考えることが重要である。実践者にとっては、アカデミックな理論もどうでもいい場合がある。実践的に使えなければ意味が無いのだ。その代わり、実践者は、学ぶ領域の幅が広い。心理学、社会学、哲学、歴史・地理、民俗学、行動科学、脳科学、教育学、科学・技術、オペレーションやシステム工学、産業、インターネット、金融、経済など多岐にわたる。

ただし、これらを評論するためや、学者として細部を研究するために学ぶのではないのだ。あくまでも、自らがリーダーとして、実践するにあたって必要な見識を養うために、活読・心読するのである。

僕は、常に実践知を大事にしたいと思う。もしかしたら実践知以外の知恵は、身につけても意味が無いのかもしれない。僕のコラムやオピニオンも可能な限り、学者・評論家の立場ではなくて、実践者の立場で、どうすべきかを論じていきたいと思う。そのためにも、可能な限り実践者に触れて、自分の頭で考え、自分の言葉で書き綴っていきたい。

2010年3月16日
堀義人

トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL :
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/45572/48023042

コメント(14)

  • 京都大学経済学部 森下将宏と申します。

    僕の友人で、この記事に関連する内容で面白い事を言っていた者がいました。

    彼の主張では、世の中には二つのタイプの人間が存在する(勿論、すべての人間がその二つのタイプに属するわけではないけど)。一つは学者で、もう一つは実践家(おそらくは、堀さんの言う実践者)。学者は新しい考えを生み出すことに専念すべきだし、実践家はその学者が既に考え出したことを学び、実践することに専念すべきだと。

    僕は、世の中のほとんどの人が後者(堀さんの言う実践者)であると思うのですが、しかしながら現在の教育がどうも学者を養成することに傾いている気がしてなりません(学校で学ぶ学問的知識のほとんどは、年齢とともに忘れ去られてしまいます)。各人にビジョンを持たせ、そのために必要とされる実践的な知識・知恵のみを教える教育もアリではないかと考えております。長文失礼致しました。

    投稿者: 森下将宏

  • 正にそう思います。医療の世界でも同様の事が言えます。
    大学病院では研究論文をたくさん書き、評価された人が教授になると言う
    だいたいお決まりのパターンがあります。臨床を多くやっている人は評価されず
    だいたい外に出る結果になります。大学病院は、研究重視の結果、
    患者本位の医療じゃなくなって来る訳です。
    まあそれが大学病院というところなのですが、見捨てられた末期の患者は本当に
    辛い思いをしています。わらにもすがる思いで代替医療に救いを見い出す気持ち、
    すごくわかります。そこでは正に実践知を行っている医者がいるからです。
    研究と臨床、どちらも大事で必要ですが、本当の意味で患者を救っているのは
    どちらなのかという事を良く考えます。

    投稿者: SS

  • 森下氏に賛成。実践知に関する教育は無くはないですが「課【外】活動」等と呼称されます。
    少なくとも私にとって、実社会で直接役立つのは主に課外活動で得たことでした。

    しかし、1分野に関しては或程度専門的であった方が良いと思います。他分野について自分の知識の深浅が(かなりざっくりではありますが)見積もれますし、最先端研究をしている方々への敬意にも繋がるかと思います。

    投稿者: ふるっち

  • 大学4年の須原と申します。

    私も、世の中のほとんどの人が実践者であり、大学での教育は実践者向けではないと感じています。
    しかし、大学での教育が実践者向けであるべき、とは必ずしも思いません。というのも、大学には、学者を育て、新しい考えを生み出すという役割があると考えるからです。

    ですから、大学に実践者を育てる機能を要求するのはお門違いで、実践者を育てる役割を担う組織が他に必要である、というように考えます。

    投稿者: 須原

  • ブログのご意見はどのエントリもすばらしく、感銘を受けております。
    ただ、率直に申して、いずれも観念的で反論のしようがない(より率直に言うと総論ばかりで各論がない)とも感じます。より具体的に、法令や社会制度をどのように変えるべきか、いわゆる「政策提言」をされるお考えはありませんか。
    例えば「格差社会」について論じるだけでも、所得税、相続税と贈与税、こども手当など、具体的に議論すべき多くのイシューがあると思います。
    その方がより建設的なオピニオン形成につながるのでは、と思った次第です。

    投稿者: 藤田勇美

  • 非常に興味深く読ませて頂きました。
    28歳男性です。

    私も大学時代、たとえば文化理論系の講義を聴くにつけて、
    すべて現象の「後追い」であるような歯がゆさを感じていました。
    とりわけ美術系だったものですから、「(分野はどうあれ)作って、形にできる人が一番偉いんじゃないか」などと考えていました。

    就職して企業で働くようになると、尚更この思いは強くなります。企業というのは、結果で動きますから。
    かたや、世の中には「いつまでたっても曖昧なまま」を維持している領域や人が、少なからず存在するのだと思います。

    評論とは、快楽です。
    問いや議論を繰り返すことは学問の源泉でもあるし、今後も永続するものでしょう。
    こういった曖昧さが払拭されては、私の愛する美術も存在しえません。
    (無論、実践と結果にはそれ以上の快楽が伴うのかも知れませんが・・・)

    堀さんご自身は経営者という立場上、「実践知」を自然に必要とし、育まれてきたのだと思います。
    いっぽうで、「評論知」に適した領域であったり、それに適した人がいるのも同様に納得できます。

    問題は、「評論知」がいかに社会に作用するかですね。
    私は「実践知」も「評論知」も尊ぶ立場ですが、「評論知」によって、頭でっかちとか机上の空論とか言われるような事は嫌です笑

    よく考えれば、経済の領域は特に頻繁に議論の対象になりますね。
    ―はたして経済「学」は役に立つのか?

    投稿者: ふみ

  • 横浜国立大学大学院修士2年の綾田和剛と申します。

    私も実践知を大事にすべきだと思います。
    先の投稿者の須原さんの考えも理解できますが、私は社会に飛び出す前段階の大学でこそ実践知を身につけるべきだと6年間の大学生活を通じて思いました。
    そして、この実践知は研究活動で身につけることができると卒業研究、修士論文に取り組んで感じました。

    なので、「早めに卒業研究に取り掛かるようにする」
    こうすれば、実践知を大学で身につけることが可能だと思います。

    具体的には、
    大学1年生のときに基礎となる部分を固めるために授業を受ける。そして2年生から実際に研究室に入って研究を行うようにする。

    このことにより3年間研究に取り組むことができます。
    3年間なので実践知だけでなく、忍耐力などあらゆる力が付くと思います。

    ただ、こうするには大学受験をもう少し簡略化する必要があるかと思います。(例えば、センター試験だけにするなど)なぜなら、大学受験で燃え尽きた後にこのカリキュラムをやり切れる学生はごくわずかだと思うからです。

    学生の身分で偉そうに長々と失礼致しました。

    投稿者: 綾田和剛

  • 理科系大学院卒業者です。

    大学が学者よりで実践者向きでないといった議論がでておりますが、私の印象とは少し違ったので書かせていただきました。
    私が在籍していたのは三年前ですが、大学、特に大学院での生活は実践家への第一歩だったのではと思います。
    皆さんの意見を読むと教授=一般論を振りかざす役に立たない物といった印象を受けますが、私の経験では全くの逆です。

    学生も教授も論文だけ読んでる訳ではなく、論文どおりに実験をしても同じようにいかないのが常です。そこで彼等は「ではどうするか」を必死に考え、膨大な試行錯誤を続けています。
    これが実践者でなく、何というのでしょう。
    理科系、文系で違いがあるのかもしれませんか少なくと私は違和感を感じました。

    詰まるところ、堀さんの仰っている実践家とは物事に対し、常にそれを自分の問題として扱うことの出来る人の事を言うのではと理解しています。
    私を含め、多くの人はまず一般論で考えてしまい、当時者意識として物事を捉えきれないと言う事ではないでしょうか。

    投稿者: @shiyosama

  • Twitterを見て来ました。
    アンケートとして答えるなら、5年くらい前、私が学生時代に所属した研究室から、実践知を学んだと思います。

    綾田和剛さんと同じく、
    大学では卒業論文などを通して、現状把握-課題設定-解決策立案-検証というプロセスを
    経験させてくれるはずです(ちなみに私は工学部卒業・工学修士修了)。

    投稿者: yyy1980

  • 世の中の全ての人は本来「実践者」であるべきだが、多くの人が「評論者」になってしまっている、と私は考えている。

    「評論知」「実践知」という言葉が誤解を生んでいるのかもしれないが、堀氏が論じているのは、『評論家や学者、アカデミズムが無意味である』ということではなく、『物事を第三者的にではなく、自分に出来ることは何か、というレベルで捉えなければ、結果として何の変化も生み出せない』ということを主張されている。そのように理解した。

    アカデミズムを追求される方々がいるからこそ、世の中の知的レベルが底上げされ続けていることは確かである。しかしそれをプロフェッショナルに追求する人は、ほんの一握りの方々である。

    「評論者」を含め全ての人に求められるのは、学んだことをどのように活かし、現状に変化をもたらし、よりより世界を作っていくか、ということ。つまり「実践者になる」ということだと思う。しかし問題が目の前に置かれたときに、私を含め多くの人は、問題が自分の外に存在するかのように論じ始める。「〜〜が悪い」「〜〜が変われば」という風に。まさに「評論者」になってしまう瞬間である。

    しかし、たとえ小さくてもより良い変化を生み出すためには、大きな話を論じながらも、最終的に「自分には何ができるか」という結論を導き出し、それを実践に移すこと以外に無いのだと考える。

    自分自身、「実践者になる」ことの難しさをいつも感じ、「評論者」と「実践者」を絶えず行き来している、と感じている。

    投稿者: 平良誠 @windowsmakoto

  • アカデミックな世界は、知識の高度化に伴い、専門化と細分化が進んでいて、学際的、総合的な視点は持ちにくいという状況なのではないでしょうか。無論、先端技術などの分野は高度な専門化が必要なのだと思いますが、常に変化する現実社会の問題に対応するためには、1分野から”評論”するのでは役に立たず、さまざまな分野の知識を総動員して総合的に考えることが必要なのだと思います。

    こと政策に関しては、政府は、有識者を集めた懇談会やら対策本部やらを散発的に開催して、時々思いついたように法案提出、財界は財界の視点だけからばらばらに政策提言、評論家は批判だけ という感じに見えますので、継続的、総合的な議論や政策の優先順位付けはどこで行われているのだろう?と思います。(実際のところどうなのかわかりませんし、間違っていたら申し訳ないのですが・・)

    実際問題、大学やシンクタンクの研究は、実社会にいかされているのでしょうか?東大政策ビジョン研究センターのシルバーニューディールなどは、結構良さそうに思えるのですが・・
    http://pari.u-tokyo.ac.jp/index.html

    企業経営には、国家経営と違って毎期の黒字化が必要ですので、もちろん経営者の皆様は、環境・資源問題から少子化問題、海外情勢まで、常に多角的かつ総合的な視点を持ち、先を見越して行動していらっしゃることと思います。そのような視点が国家経営にも導入されるといいですね。

    投稿者: 小林紀子

  • 明治維新後、日本は繊維産業→重工業→メカニクス、エレクトロニクスと、主力産業を変え、時代の波に乗り国力を蓄えました。第2次世界大戦での敗戦直後は現在のカンボジア以下のGDPだったはずですが、その後の復興は奇跡的であり、オイルショック、ニクソンショックも乗り越えた活力はアジア各国が羨望するほどです。
    しかし、バブル崩壊以降、日本はつまづいています。
    1980年代のJapan as No1の時代に、21世紀の日本は高度医療サービス、バイオ、新エネルギー分野でナンバーワンとなり、日本は強い産業に裏打ちされた国力豊かな国であり続けるというビジョンがあったはずです。
    しかし、ここにきて失敗している。原因は一言で言えば教育の失敗にあるでしょう。

    失敗は認め、舵は切りなおす必要があります。
    ただ、現在はバラバラのagenda的政策があがるばかり。リーダーシップのもと、日本がこれからの時代どこに行くべきか、ビジョンが無ければ力強いうねりは生まれません。

    長らく影響力を持っていた経団連は思考停止状態であり、ビジョンを掲げるべき政治家も既存政党も、日和見的な政策しか出していない。日本という国の、資源も人材も豊富な国で、大きな方向性が見えず、つまりは希望が持ちづらい状況が続いています。

    政策提言だけでは、視野も分野も偏り理解されづらくなる危険性があります。大きなビジョンを掲げ、政策に落とし込むようにしていただきたい。
    と、ここまで書いて「日本を良くするためのビジョン、戦略を議論し始める」という力強いtweetを拝見しました。
    まったくそのとおりで、涙が出ました。
    勇気のある決断と行動に感謝します。産業と政治は異なりますが、切り離すことはできません。より多くの若い財界人にも気づきを与えることができますよう。

    投稿者: tomochin1

  • 工学系大学院を修了してもう十数年もたつ者です。

    「評論知」というものが体系化された学問・知識のことを指すならば、私は「評論知」、「実践知」ともに重要だろうと考えます。

    「評論知」とは、今まで「実践知」であったものを出来るだけ論理的に体系化したものであって、「実践知」の歴史とも取れるからです。とりわけアカデミックである必要はないと思いますが、体系化という作業にはアカデミックであることと親和性はよいように思います。

    一方で、直面している問題点やこれからのことを考えるのが「実践知」で、人の意見を聞きつつ、堀さんがおっしゃられているように「実感として自分で考える」ことが重要でしょう。単に与えられるだけではどうしようもない。

    大学の教育プロセスは、私が在学していたころとは変わっていると思いますが、ほかの方がおっしゃられているように、卒業論文や学術誌への投稿論文の作成、学会発表などは「実践知」を学ぶよい機会でしょう。私もそうでした。一方、それらを実践するには学問としての「評論知」をベースとして知らないわけにはいかない。それらを達成し、何年も経つと、そのほとんどを忘れてしまいますが、それでも残るものがある。それが自分なりの経験・知識となっていったのだろうと思います。

    投稿者: @saffmeg

  • 実践知の伝授を指向して大胆にカリキュラムを組む大学が、もっとあっていいと思います。
    「心理学、社会学、哲学、歴史・地理、民俗学〜〜など多岐にわたる」領域を限られた期間(2年間のイメージ?)でカバーするためには、恐らく現状の大学がそうしているよりも、履修課程をもっと効率的にする必要がありそうです。各科目の内容を本当に実践的なものだけに絞って、一科目履修するのに要するコマ数も少なくし、回転をよくする(それこそGMSの「3ヵ月で1期」のように)。
    教科書も「MBAマネジメントブック」のような、各科目のエッセンスをインデックス的にまとめた「一般教養課程ハンドブック」があるとよいのかもしれません。

    投稿者: 大島一樹

コメントを書く

お名前
メールアドレス 本サイト上には掲載しません。
URL
コメント本文(必須
コメントは管理者が公開するまで表示されません。
不適切な発言は、管理者の判断において削除することがあります。

はじめに

「起業家の風景/冒言」一覧

起業家の風景 最新コラム

起業家の冒言 最新コラム

メールマガジン配信

著書

グロービス 事業紹介